娘婿が職場復帰、義母の介護サービスを見直す-かっちん夫婦とマミーの日々<30>
2012年11月から素晴らしいデイケアへ義母“マミー”が通えることになり、ホッと一息の僕たち夫婦。穏やかな日々が続いていたが、年が開ければ僕の介護休業は終わってしまう。そのため、介護サービスの見直しが必要になった。
[自由時間が増え、最高な介護休業に]
2011年11月に脳出血を起こし、色々な後遺症が残ってしまった義母マミー。
その事で自暴自棄になるような時期もあったが、素晴らしいデイケアとめ
ぐり合えたことで、少しずつ前向きになっていった。
リハビリ拒否をして家族を泣かせたりした時もあったが、それももう過去
のこと。
マミーが新しいデイケアへ通い始めると、自由になる時間が増えてきた。
すると心にも余裕を持てるようになった僕たち家族。
迎えた2013年のお正月は、本当に穏やかな気持ちで過ごせていた。
新年を迎えたある日、妻のかっちんからこんなことを聞かれたことがあった。
「たーちゃん、1年間も介護休業なんか取ってさよちゃん(マミー)の世話した
こと、失敗したと思ってるやろ?」
その質問に僕はすぐにこう答えた。
「なんで? この暮らしは最高だよ?」
多趣味の僕はその時、図書館で大量に借りてきていた本を読んでいた。
会社勤めをしていた頃も図書館で本を借りてはいたがとにかく忙しかった。
ロードバイクやジョギングなどにも時間をかけたかったので、本をゆっくり
と読める時間なんてほとんどなかったのだ。
マミーの介護に専念する暮らしに変わってからは、毎日リハビリしたり、
鍼灸整骨院に連れて行ったりしていて一見忙しそうにも思える。
だが、空き時間だって結構ある。
その間に好きな本を読んだり、勉強出来たりするのは僕には何よりだった
のでかっちんの質問にも「最高だよ」と即答したのだ。
その答えに満足したのか、かっちんは嬉しそうに僕の髪の毛を手でクシャ
クシャにして笑った。
[職場復帰へ向け、介護サービス見直しへ]
1月、2月は穏やかに過ぎて行ったが、3月に入るとにわかに忙しくなり始め
た僕たち。理由は僕が4月から会社に復帰するからだ。
日中はマミーに付き添えなくなるため、介護サービスの見直しが必要に
なった。
かっちんとケアマネさんが1番心配したのは、僕の代わりに誰がマミーの
歩くリハビリを続けるか、ということだった。
僕は2012年の4月から毎日、マミーの歩くリハビリをやってきた。
1日約200メートル歩いていたとすると、この1年でマミーと歩いた距離は
73,000メートル、実に73キロだ。
その他にプールでも毎回100メートルは歩いていたので、実際はもっと歩い
ている。
それだけ歩いてきたおかげで、マミーの麻痺した左足は本当によく動くよう
になっていた。ただ高次脳機能障害の左半側空間失認が重度であるため、
マミーは体のバランスがどうしても上手に取れない。
そのため結局一人で歩けるようにはならなかった。しかし、ほんの少し腰
を支えてあげているだけで、どんどん歩けるようにはなっていた。
[歩くリハビリを継続するための2つの提案]
マミーの歩くリハビリを4月以降もずっと続けていくために、ケアマネさん
は2つの方法を提案してくれた。
ひとつは訪問リハビリを利用する方法。
訪問リハビリは文字通り、理学療法士が家にやってきてリハビリをやって
くれるというものだ。
もうひとつは訪問介護のヘルパー(介護士)さんに、お散歩という名目で
マミーを外に連れて行ってもらうという方法。
近所を散歩しながら、歩く練習をする(正確には「歩くのを介添えする」)
というものだった。
リハビリなのだから、本来ならば理学療法士さんに来てもらって訪問リハ
ビリをするのが普通だ。でも訪問リハビリは点数が高く、それに乗じて利
用料金も高くなってしまう。毎日はとてもお願いできそうにない。
その点、訪問介護のヘルパーさんだったら点数はそう高くはないので、
毎日でもお願いできるというのだった。
「それだったらヘルパーさんにやってもらえばいいんじゃないの?」
と僕が言うと、かっちんは怪訝な顔してこう言った。
「ヘルパーさんに、さよちゃん(マミー)を歩かせられるか?」
「大丈夫でしょ? ケアマネさんがそう言ってるんだから」
マミーの歩くリハビリを軽~く考えてた僕だった。
[ヘルパーさんとお試し練習した結果]
そんなわけで、ケアマネさんが懇意にしている訪問介護の事業所から、
ヘルパーさん2人を我家に連れてきてもらった。
「こんにちは、よろしくお願いします!」
明るい女性の方達だった。
一人は華奢な方だったが、もう一人の方は大柄な女性だったので「この人
だったらマミーを歩かせられるかも?」と思ったというかっちん。
早速、家の中でマミーの歩く練習をしてみるヘルパーさんたちだった。
しかし結果は、全くマミーを歩かせることができなかった。
マミーは体のバランスは取れないが、麻痺していない右足はとても強い。
以前、かっちんが蹴っ飛ばされて吹っ飛ばされてしまったほどの筋力だ。
なので、バランスが崩れないように腰の辺りを少しだけ支えてあげれば、
ほとんど自力で立てていた。
そのまま指示を出すと、麻痺している左足もどんどん動く。
しかしヘルパーさんは、必要以上にマミーを支えようとしてしまうのだ。
その仕事の性質上、絶対にお客様をコケさせてはいけないと思うからなの
だろうが 、そうなってくるとマミーも体に余分な力が入ってしまって思
うように体が動かなくなってしまう。
なので、僕は何度もこう言った。
「絶対コケませんから、そんなにしっかり支えなくてもいいですよ? こ
ちらが力入れると本人もいらん所に力入れるから、歩けなくなります!」
「は、はい!」
そんな練習を1時間くらい続けたが、結局駄目だった。
最後は汗だくになっていたヘルパーさんたちだった。
(つづく)
この頃はマミーの反抗期も納まってきて、一番ゆとりのある時だったかな?
なので、もうじき介護休業が終わると思うと「なかなか楽しい介護休業だった」
としみじみ思ったものでした。
実は2012年の春から僕が1年間の介護休業を取って、マミーと同居して
在宅介護生活をスタートさせたわけですが、この在宅介護生活をしなかっ
たら、僕はその年の6月から半年の間、仕事の都合で大阪から岡山に行く
ことになってたんですよ。
半年も一人で岡山に行くのはイヤだったので、かっちんについて来てねっ
て頼んだんだけど
「私は大阪で生まれた女やさかい、大阪の街よう捨てん」
とか言って、岡山について来てくれないっていうんで一人で行くのか・・・
とため息ついてたらマミーとの在宅介護の話になってラッキーって感じで
したね~(これで介護休業取るから岡山行かなくてすむってんで・・・笑)
僕って運の強い男なんですね~♪(どこがや!って言う人もいますがね笑)
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