かっちん夫婦とマミーの日々<第41話>・・・脳出血後1年ぶりに、かかりつけ医へ行ってみると・・・ | 義母と僕とリハビリ介護日記

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脳出血の後遺症で要介護4、一級障害者になった一人暮らしの義理の母マミー、娘夫婦と同居して厳しいリハビリを続けるか? 
それとものんびり施設入所をするのか?選んだ答えは「厳しいリハビリお願いします!」その日から涙を流してリハビリを頑張る
義母と僕の成長日記です。

脳出血後1年ぶりに、かかりつけ医へ行ってみると…-かっちん夫婦とマミーの日々<41>

脳出血の後遺症が残った義母“マミー”は、入院していたリハビリ病院に併設のデイケアへ通っていた。しかしそこでの対応がイマイチだったため、別のデイケアへ通うことになったのだが、その際、医師の指示書が必要となった。指示書は以前よく通っていた内科医に頼みたい、というマミーの希望もあり、僕たちは久々にその病院へ行ってみることにした。

[介護は何かにつけてかかりつけ医が必要]
2011年に脳出血を起こした義母のマミーは要介護4、一級障害者となった。
目も不自由になり、難病(サルコイドーシス)も患っていたので、近所の医師
との関わりは必要不可欠。でもマミーに介護が必要となってからしばらくの
間は、決まった“かかりつけ医”というものがいなかった。

かかりつけ医とは患者が体調不良を感じたときに、身近に通えるお医者さん
の事だ。それまでの既往歴や生活環境など全て把握してくれた上で、肉体的
精神的な面で相談にも乗ってくれる。

大きな病気をした時などには、このかかりつけ医を通して総合病院を紹介し
てもらう。介護サービスを受けるにしても、このかかりつけ医からの指示書
が必ず必要となってくるのだ。

なので義母のマミーが脳出血で入院していた頃、病院のスタッフの方から
「お母様(マミー)には、かかりつけの先生はいますか?」とよく聞かれて
いた妻のかっちん。

それにはいつも「はい、います」と元気よく答えていたかっちんだった。

[昔なじみの内科へずっと行けなかった理由]
マミーにはもともと、かかりつけ医がいた。

僕たちとの在宅介護生活に入る前、マミーが一人で住んでいた家から歩いて
10分程の場所にある内科がそうだった。

その内科とはかれこれ40年近い付き合いになるのだという。

かっちんも子供の頃から風邪を引くと、いつもここに通っていたというとこ
ろだった。マミーと同年代位の優しい大先生と、時々臨時で来ている先生、
そして数年前からは、大先生の息子さんである若先生の3人で病院を切り
盛りしていたようだ。

マミーの担当はもちろん大先生だった。なんせ40年も通っているのだ。
若い頃からの知り合いであるマミーにとって、大先生は信頼のおける素晴ら
しい先生だった。

しかし、その病院は40年前の外観そのまんまでバリアフリーとは程遠い建物
だった。病院の外も中も段差だらけで院内も狭い。入り口だけでも急な階段
が何段もあった。

なので、マミーが脳出血で退院してきたばかりの頃は、身体がフラフラした
状態だったので、とても連れて行けるような所ではなかったのだ。

という理由で、しばらくの間は風邪などをひいても、車椅子で入りやすそう
な内科を近所で見つけては飛び込みで行っていた僕たちだった。

[指示書依頼のため、久々に内科を訪ねると]
しかし、マミーが退院してきた年の10月、それまで通っていたデイケアを変更
する事になった。それにはかかりつけ医師の指示書が必要となったので、40
年通っていたその内科へ久しぶりに行ってみる事となったのだ。

外から見ても病院に入るのはかなり大変そうだったので、一応マミーに聞いて
みた妻のかっちん。

「さよちゃん(マミー)、病院の前まで来てみたけど、やっぱり入るの大変
そうやで? 階段は急やし、登れるか?」

「頑張って登ります、たーちゃん手伝ってください、はい」

「ホンマに大丈夫かな? さよちゃん、他のバリアフリーの病院の内科見つけ
て主治医になってもらってもええねんで?」

「だって、ここはわてが40年通った病院なんです。ここの大先生が1番、わて
の体の事を分かってくれてるから・・・」

マミーが自分の体に関しての指示書を書いてもらうのなら、どうしてもここの
大先生が良いと言い張るので一応連れて来てはみたのだが、やはり急な外
階段に恐れを感じたかっちんは、マミーを説得しだしたのだった。

しかし、マミーはどうしてもここの大先生が良いと言い張って聞かない。
なので仕方なくかっちんは、先に病院へ入っていって事情を説明した。

受付ですぐに「車椅子なんですけど・・・」と伝えると、女性スタッフは難色
を示した。

「車椅子ですか・・・入れるかなぁ? この病院は中もゴチャゴチャしていて狭
いし、段差が多いから・・・どうですか? 外の階段は上がってこられそうで
すか?」

そこで初めて、かっちんがマミーの保険証を差し出すと、受付の女性は驚き
ながらこう言った。

「えっーーー! 〇〇さよ子さん? だったら、どうぞどうぞ!」

そう言って受付の女性が他のスタッフの方にも声をかけ、看護師さん達と
ともにゾロゾロと外へ出てきた。

そしてみんなでマミーが病院に入る手伝いをしてくれた。みんなマミーの事
をよく知っている人達ばかりだった。

顔なじみのスタッフが温かく対応してくれた

「さよ子さん、1年ぶり位ですね?」

マミーの代わりにかっちんが答える。

「ええ、脳出血で入院していたので・・・長いこと、ご無沙汰してて本当に
スミマセン・・・」

「いえいえ、いいんですよ。大変だったんですね・・・さよ子さん・・・
でもよく来てくれましたね!」

受付の女性や看護師さん達はみんな涙ぐんでいる感じだった。

元気だった頃のマミーを知っているスタッフの方々にとって、そのマミー
の変わりようは胸にグッと来るものがあったのだろうか?

その後、レントゲンを撮ったり血液検査をしたり、トイレで尿を採るのも
看護師さん達が一生懸命手伝ってくれた。

それまで飛び込みで行っていたような病院とは、スタッフの方々の対応が
明らかに違っていた。

マミーの尿を採るのに看護士さんの腕がマミーのオシッコまみれになっても
「大丈夫、大丈夫!たっぷり出してね」と笑顔で言ってくれる。

レントゲンを撮るのも、マミーを立たせるのは大変だろうから僕が手伝おう
とすると「大丈夫、家族さんはゆっくりしててね!」と、僕たちに対して気
遣いもしてくれた。

飛び込みで行った病院はどこも綺麗な内装でバリアフリー、レントゲンなど
も最新のものが揃っていたが、こんな対応をしてくれるところは皆無だった。

これが40年の歴史なのだろうか?

受付の女性や看護師さん達、スタッフのみなさんは久しぶりのマミーの出現
に本当に温かく、優しい気持ちでマミーを迎え入れてくれたのだった。

しかしこの後、この感動の時に水をさす人物が現れることになろうとは
この時は思いもしなかった僕たち家族だった。
  
(つづく)

天国から地獄とはまさにこの事かもな・・・っと思うようなことが、この後
待ち構えています。

なので、明日の「かっちん夫婦とマミーの日々<第42話>」もお見逃しなく!


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