カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記

表現規制反対活動を昔していた。元エロマンガ家。元塾講師。現在は田舎で引きこもりに似た何か。

筒井康隆の「炎上」案件

筒井康隆の「炎上」ツイート案件、自分なりに感じるところを以下粗く書く。
http://shokenro.jp/00001452 ← 元の日記文。
ここから1037p4行目から6行目までがツイートされたのが「炎上」の発端。
https://twitter.com/TsutsuiYasutaka/status/849827508539105280
そのツイートについたブクマ群は以下
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/TsutsuiYasutaka/status/849827508539105280
さらに色々どったんばったん大騒ぎに炎上しているが、敢えてそこから先の展開については原則無視して以下書く。

1

筒井康隆の今回の「炎上」の文は、その文自体は「安倍晋三政府の論理性のおかしさ」の露悪ギャグとして構成的には成立している。
「少女像」に対する安倍晋三政府の主張はざっくりとこうだ。
1 安倍晋三政府のおかしな論理
1-1;安倍晋三政府は歴史的事実としての「慰安婦」問題を認めない。歴史的事実としてそれがあったことも、過去の自民党政府がそれを認めたことも認めない。← この時点でロジックが凄いことになっている。
1-2;「慰安婦問題があった(ある)」ことのシンボルとしての「少女像」が韓国国内に設置されることを安倍晋三政府は認めないし許さない。認めないことを態度で示すため駐韓大使を退去させた。 ← これもロジックが物凄いことになっている。
1-3;なぜ安倍晋三政府が「慰安婦」問題を認めないのか。それは日本人が韓国人少女を強制的に売春婦にしたりレイプしたりするようなそんな破廉恥なことをするわけがないからだ。 ← 素朴で偽善的で強固な感情
1-4;でも安倍晋三政府は何事もなかったように長嶺駐韓大使を韓国へ戻した。 ← 国際的破廉恥の上塗り。
それへ対して今回筒井康隆が書いた「ギャグ」は構成的には以下の通り。
http://shokenro.jp/00001452
2 筒井康隆による多重皮肉の構成
2-1;長嶺大使が韓国へ行くのなら、上記1-2のロジックはどういうつもりだったんだお前。
2-2;「慰安婦問題」を認めないから退去していた大使が戻るということは、論理的には「安倍晋三政府は慰安婦問題を歴史的事実として受け入れる」わけですよね(1-1の自己否定)? という皮肉。
2-3;「あの少女像は可愛いから」以降は、上記1-3の「否認していた戦中の破廉恥行為」を今度は少女像に対して再演を実際に今しているわけだし、もっとわかりやすく言うたるわ。レイプ被害者のシンボルにザーメンかけるような行為を安倍晋三政府はしとるんじゃ。
ギャグとしての構成は以上の通り。

2

ただしギャグは文脈に依存する。俺の上記ギャグ解釈は筒井康隆ギャグ解釈としてそんなに外れていないはずだが、ツイッターでギャグ部分だけ投稿すると、「文脈」が変わる。
ツイートしたのは筒井康隆本人ではなく、出版社の筒井康隆係の編集者だと感じる。(筒井康隆事務所というのがもしあればその事務所のツイッター係の人だ。)
筒井康隆のweb連載日記文から「面白そうな」部分を抜粋して投稿する、というのがその係の仕事だ。その係はあの部分が「ギャグ」だからツイートに値すると思い、ツイートした。
ところで筒井康隆の日記文はさほど面白くない。さほど面白くない日記文の中に珍しくギャグがあったから、係はあまり考えずにツイートしたと思うが、そのセンスはツイッター文化を判っていないセンスだ。

3

ツイッターには大量のネットウヨク文士が有象無象いるから、代表的なのは百田とか田母神とかだが、そういうネットウヨク文士は論理構成が壊れている文を連日ツイートしている。
彼らは日本会議的「嫌韓」「民族差別」感情に沿うことだけに心を砕いている。その感情に沿う為には論理構成は常に壊れるが、その感情共同体にとって重要なのは日本会議的「嫌韓」「民族差別」感情・「日本人が破廉恥なことをするはずがない」という素朴で偽善的で破廉恥な感情に沿うかどうかだけだ。論理など「サヨク」の戯言だ。文士ですらないネットウヨクはさらにそれを劣化させた言葉と劣化させた破廉恥な感情で連日ツイートしている。

4

筒井康隆の日記文中のギャグは、構成としては、1-1から1-4を揶揄するための悪趣味なギャグ2-3であったが、残念なことに、ベタに1-3と2-3を同時に言い放つネットウヨクの「感情に沿う」破廉恥文と内容と効果が一致してしまった。
なのでツイッターという「文脈」でそのツイートを見ると、ネットウヨクの言葉と何も変わらない。そのツイートを先に見てその後元の日記文を読んでも、俺が今構成を解体してみせたようにはもはや読めない。

5

「世の中には言っていいことと、言って悪いことがある」的批判は筒井康隆から見ると「またかよ、お前ら50年間同じことしか言えねえのかよ」と見える。
「世の中には言っていいことと、言って面白いことがある」と切り返したのは、若かりし頃の筒井康隆だ。この言葉は俺にとって座右の銘だ。とはいえね、どんなギャグの天才でも滑ることはあります。筒井康隆が滑ったというより筒井康隆ツイッターを担当していた人が滑ったと俺は解する。「太田が悪い」案件。
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