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自分たちの子どもがどんな先生に教わるかーー、保護者にとっては気になることだろう。では、その先生が「本当によい先生」かどうか、あなたは見極める自信があるだろうか。32校の小学校で教壇に立った現役の先生、須貝誠氏が自身の経験と見識を活かして、よい先生・悪い先生の見分け方を指南する。

よい先生・悪い先生の違いがなぜ分かるか

32校! 私がこれまで勤めた小学校の数だ。

非常勤講師として働く道を選び、赤ちゃんを産んだり、子育てをしたりする先生のかわりとして勤めているうちに32校になった。一般の先生で32校も経験している人は、いないだろう。

毎年のように学校を渡り歩くのは楽しい。学校によって、学校そのものの雰囲気、子どもの様子など様々だからだ。そんな様々な子どもたちに教えるのも、また楽しい。


東京都の教員採用試験にも合格し、正規の教員になる研修も受けたが、今の環境が好きで、それで、正規の教員になることを辞退したぐらいだ。

32校も経験していれば、様々な先生に出会い、その教え方を目の当たりにする。同時に、TOSSサークルという全国の先生が教え方を学ぶ組織で私も学んでいたので、あらゆる「教え方」を比較でき、よい先生、悪い先生の見分け方も身についた。

たとえば、生徒に消しゴムで消させる先生、定規を使わせない先生、宿題を出す先生……、彼らは、よい先生・悪い先生どちらだろうか?

詳しくは順を追って説明するが、ここでは、子どものことを考えず、自分の都合、学校の都合で授業や指導する先生は悪い先生だ、と言っておこう。その見極め方を、これからお伝えする。

消しゴムで消させる先生は、よい先生?

小学生には、消しゴムで自分が書いた文字をきれいに消せない子がいる。ノートに消した文字の一部分が残ったり、消え切れていない文字の上に重ねて書いたり。これでは、書いた本人でさえ読めなくなる。


算数の授業だったら、特に問題だ。たとえば、割り算の筆算をしていて、立てた商を繰り下げなければならないとき。277÷33のような計算を筆算でするときだ。

一の位に仮の商として9を立てる。33と9をかける。297になる。次に引き算をする。ところが、277から299を引くことはできない。商を9から8にしなければいけない。このとき、消しゴムで消せば、ぐちゃぐちゃになる。

私なら、277÷33の筆算全部に×をつけて、最初から筆算をやり直させる。消しゴムを使わなければ、計算の足跡が残るから、どこを間違えたのか分かる。

だから、時間がかかるように思えるが、正解する確率が高くなる。数字が分からなくなることもない。ある保護者はとてもいいと言ってくれた。ノートがぐちゃぐちゃにならないからだ。

一方で、以前、消しゴムを使わなくなって困っていると保護者から電話を受けたことがある。「原稿用紙にまで×している。受験の解答用紙のマスに×する癖がついたら困る」と。

今の私なら即答する。「消しゴムを使わない癖がついたのは、いいことですよ!」と。私は、何が何でも消しゴムを使わせるなと言っているのではない。授業中でも使わせることはある。臨機応変に対応することも大切だ。ただ、自分の間違えや考えた足跡を残すこと自体は非常に重要である。

消しゴムを使わなければミスをした部分が分かる。次に活かせる。消しゴムを使うか使わないかで、学力まで変わることだってあるのだ。

安易に消しゴムを使わせない先生が、よい先生である。

ミニ定規を使わせる先生の思惑

小学生を見ていると、筆算で書く=の横の線が曲がる、斜めになる、右上がりになってくる、という子が多い。

右上がりになるにつれて数字も小さくなる。斜めになった数字を見て、たし算するから、位がそろわずに正しい答えを出せない。文字の大きさはそのままでも、斜めになってしまう子もいる。

教える側としては、どうすべきか? 答えは明快。定規を使用させるべきだ。

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こういうと、反論も出る。「定規を使わせると計算のスピードが遅くなる。ミニ定規を使わせるな」だ。スピードも大切かもしれないが、正確さを優先すべきだ。速く計算できても、間違っていたら意味がない。

ミニ定規を使うことは、有名な進学校、慶應義塾などでは当たり前と聞く。慣れると、ほとんどの子が、ミニ定規を上手に使いこなす。+、-、=のような記号までミニ定規で書くようになる。一見、遅くなりそうだが、ミニ定規を縦にして短い部分で線を引くから、遅くはならない。

私は、市販のミニ定規を、担任した子どもの人数分だけ購入した。1本のミニ定規をはさみで何本かに分ける。正方形のように小さくなったミニ定規を配った。+、-などの記号もすぐに書ける。

ミニ定規を使うと筆算のとき、位もそろうようになる。計算ミスも減る。ミニ定規を使わせる先生が、よい先生だ。


宿題を出す先生に安心してはいけない

保護者(懇談会)、個人面談、家庭訪問などで、よく聞く保護者の声がある。

「先生、うちの子、宿題がないと勉強しないんです!宿題出して下さい!」だ。宿題を出してほしいと願う保護者は多い。保護者からすると宿題を出してもらう。わが子が勉強している姿を見る。安心だろう。     

しかし、宿題を出すと、朝、教室の先生の机の上には、子どものノートが山のように積まれる。漢字ノート、計算ドリルノート、昨日の授業でやり残した問題を書いたノート、プリント、日記など……。

日記を子どもに毎日、書かせている先生は大変だ。その日のうちに日記を子どもに返さなければいけない。他の教科のノートも見る。昔の私も実はそうだった。全部に、赤でコメントを入れる先生もいて、よい先生のように思えるが、違う。

理由を明らかにする。そもそも、宿題を学校から出してはいけないのだ。学校の授業時間内で、やるべき学習を済ませるのが原則だ。本来、子どもの実力をその場で伸ばせないといけない。

宿題を出すと、教師に甘えが生じる。1時間の中で授業を完結しなくても平気になる。教師が「よし!この1時間で、子どもたちに分からせるぞ!」と意識できれば、無駄がなくなる。

宿題を出さない先生は、仕事をさぼっているのではない。宿題を出さなくても大丈夫と言えるように授業を工夫しているのだ。

1時間の授業でたった1問だけをみなで考える授業をする先生がいる。授業中に扱わなかった練習問題を宿題にする。応用問題がある宿題のとき、勉強が苦手な子はできない。できないから宿題をやらない、やらないから先生に叱られるという悪循環にはまる。不登校になる子もいる。私が勤めた学校にもいた。

宿題には頼らず、1時間で授業を完結させる。子どもに学習内容を理解させる。そんな、宿題を出さないという先生は、全国に多くいる。

宿題を出す先生が、必ずしもよい先生とは言えないのだ。

自作プリントで授業する先生は要注意

「教科書ってつまらない、よし教科書を使わないで教えよう、楽しい学習プリントを作って授業しよう!」と考える先生がいる。

私も、学習プリントを作っていた時代がある。勉強する内容を物語風、漫画風にして一人で学習プリントを自作した。授業中、子供達から「え-、何これ、算数なの?楽しい!」「ワハハハッ」と笑い声も聞こえた。

いよいよ、テスト。「子どもたち、よく笑っていたし、きっとよい点数に違いない」と期待しつつ、採点する。最初は、笑顔だった私の顔が曇る。○より×が多い。100点満点のテストで、平均点50~60点ぐらいだ。どこの学校、どのクラスでやっても、結果は同じ。

「教科書、ノートを使うなんて当たり前でしょ?」という声が聞こえる。いや、当たり前ではないのだ。

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教科書、ノートもなしで授業している学校もある。ノートを買わせてもいない学校もある。先生たちが授業用のプリントを自作するからだ。プリントに書き込ませる。

進学校の中学高校であれば、プリントでの授業もあり得るかもしれないが、今は、小学校の話だ。プリントでの授業で、子どもたちの学力が伸びないのは、当たり前だった。

教科書は何人もの先生が、何年もかけて知恵を出し合ってできる。一人の素人の先生が短時間でつくったプリントが、教科書に勝てるわけない。

教科書にも欠点はあるが、一人の教師が作ったプリントよりはよい。問題に使う数字一つにも意味がある。なぜ「5」でなく「3」なのか、どうして、この問題を出すのか、系統立てられている。

一般の先生たちが作るプリントには間違いが出る。間違いの訂正には、時間がかかる。何をどう訂正していいのか分からない子も出てくるからだ。

ノートに書かせるほうが子どもの力は伸びる。小学生にとって、プリントに書くのは難しい。書き込みの枠が狭いとはみ出す。文字の大きさのバランスがとれない。ノートであれば、罫線やマス目があるので文字のバランスはとれる。

たとえば、理科の実験後、ノートでまとめをする。レイアウトを子ども自身で考えるから、考える力もつく。あらかじめ、用意された型のあるプリントではできない。

以前はプリントを自作していた私も、教科書、ノートで授業するように変えた。子どもの学力は明らかに伸びる。テストで平均点が50~60点なんてことはなくなった。平均点80点近くになってきた。

自作プリントで授業する先生には要注意。教科書を使って授業する先生こそが、よい先生だ。


黒板に「めあて」なんて、いらない

私がTOSSでノウハウを学んだ授業をした(学ぶのはノウハウだけではないが)ときの話。5年生にした授業の冒頭で、「ノートに、言葉の終りが『い』か『しい』になる言葉を書きなさい」と言った。

黒板にも書かせた。「楽しい」「おいしい」「まずい」「ドンマイ」など、たくさん出てくる。出た言葉の下に、先生の名前をつけて読ませた。「楽しいA先生」「おいしいB先生」「まずい先生」「ドンマイ校長先生」となる。爆笑が起きる。遊びではない。形容詞を教えるためにした授業だ。形容詞の特徴が理解できる。形容詞でないものも分かる。みな、集中する。

これがもし、「形容詞を勉強しよう」という「めあて」を黒板に書いて始めたらつまらない。これだけで、集中できない子も出てくる。

一部の偉い人たちは、「めあて」を黒板に書くことを進める。「めあて」なんていらないのに! 何の勉強を始めるのか分からなくても平気だ。むしろ、いきなり始めた方が盛り上がる。集中する。子どもの頭の中にも残る。

最近は、附属小学校の教官でも「めあて」に批判的だ。「めあて」を書いたからと言って、子どもの学力が伸びるとは限らない。書かなくても伸びる。「めあて」書くと、何が始まるのというワクワク感もなくなる。

演劇だって、いきなり始まる。「何だ!何だ!何が起きるの?」と一瞬で、劇の中に引き込まれる。当然、「めあて」を観客に知らせることはない。

だから、「めあて」という形式にこだわる必要はないのだ。毎時間授業の最初を工夫し、子どもを引き付けている先生が良い先生だ。

以上、よい先生、悪い先生について見てきた。家庭でも、授業参観や公開授業などの日には、ぜひ、参考にしてほしい。私なりの「よい先生と悪い先生の見分け方」が少しでも役に立つようであれば、幸いである。