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大阪(坂)城西の丸庭園散策

2017年05月20日 | 伊予松山歴史散策

大阪城を表記するときには、大坂・大阪と両方が表記され、特に、国指定特別史跡には、大坂城跡として登録してあると記述がある。また、城郭構造についても、平城又は、平山城と書かれており、私は、平城と思っていた。

 豊臣時代の天守は、5層6階地下2階の望楼型、徳川時代は、5層5階地下1階の層塔型、昭和復興天守は、5層8階の望楼型とある。非常に紛らわしい天守である。

復興天守大阪(坂)城。

 復興大阪(坂)城天守は、豊臣大坂城と徳川大坂城、建っていた場所や外観が異なり、昭和の復興天守は、1層から4層までは徳川時代風の白漆喰壁とし、5層目は豊臣時代風で黒漆に金箔で虎や鶴の絵を描いている。この様に何故折衷にしたのか不思議である。豊臣時代の形式に統一するべきとする意見もあったそうだ。

徳川時代の大坂城は、藤堂高虎を総普請者として、豊臣時代の城の上に10mの盛り土をして、天下普請で江戸城をしのぐ規模の城を造り上げたとある。

 

 

昭和6年に造られた「復興天守大阪(坂)城」

大阪城には度々伺ったが、未だ西の丸庭園を見たことがなかったので、この度、(5月9日)西の丸庭園散策(見学)を主な目的で行った。

資料によると

昭和6年、市民による浄財・約150万円(現在の約750億円に相当)を費やして建て替えられた大阪城天守。その天守を中心に広がる大阪城公園には大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財や、梅林、西の丸庭園などがある。豊臣秀吉の正室・北政所の屋敷があった場所とされている西の丸庭園は、昭和40年、総面積約64,000平方メートルの芝生庭園として開園。周囲を樹木に囲まれ、天守や掘の石垣が美しく眺められる。春は染井吉野桜を中心に約300本の桜が咲き競い、花見の名所としても有名。開花期間は観桜ナイターも開催され、大勢の花見客が訪れるとある。資料より抜粋。

西の丸庭園の東北隅には昭和44年、松下幸之助氏から寄贈された茶室「豊松庵」があった。そして、平成7年APECの主会場として建設された大阪迎賓館があった。

注1:「おおさかじょう」の表記について、近世までは「大坂城」、近代(明治)以降は、大阪に統一したそうです。

注2:大阪(坂)城は、文献等にもよるが、日本三名城のひとつに数えられていて、記述によれば、江戸時代初期、城造りの名手と言われた加藤清正、藤堂高虎が普請した城のうち、特に機能美に優れた3つの城を選定したとある。(熊本城・大坂城・名古屋城)また、(姫路城・熊本・松本城)を挙げる学者もいる。

 

西の丸庭園の表示板。

高麗形式の門を潜ると西の丸庭園の受付がある。

開園時間は、9:00~17:00 (3月~10月) 9:00~16:30(11~2月) 入園は30分前まで、※桜の開花期は20時まで
定休日:毎週月曜日、年末年始

とウエーブには明記してあるので午後4時に行ったが、5月9日なのに何故か、4時30分まででした。散策時間は1時間の予定をしていたが、30分しかなく大急ぎで見て廻った。

平成7年APECの主会場として建設された大阪迎賓館。

略称、APEC(エイペック)とは

昭和53年、日本の大平正芳内閣総理大臣が就任演説で「環太平洋連帯構想」を呼びかけたことにある。

アジア太平洋経済協力、英:Asia-Pacific Economic Cooperation)は、環太平洋地域における多国間経済協力を進めるための非公式な共通の話題について情報を交換し合う会合で、略称、APEC(エイペック)と言う。と資料にある。APEC'95は、平成7年11月16日より11月19日までの4日間、大阪で開催され、アジア太平洋諸国の首脳級が参加する国際会議が東京以外の場所で開かれることは過去に前例が無く、官民一体となった協力体制のもと成功へと導かれました。と記事がある。その主会場として大阪迎賓館が建設されたそうです。

 

 大阪迎賓館の平面図。

 迎賓館の主部屋で、現在は黄金の茶室が造られていて、その前で記念写真が撮れるように機材がセットしてあった。

 

 床の間には、秀吉の掛け軸と茶道具。

 

 黄金の茶器。

 豊公吉野花見図屏風(複製)

 豊臣秀吉が、吉野花見を行った時の図屏風で、秀吉が、文禄3年(1594)2月27日~3月1日に掛けて行った、吉野の花見の様子を描いた屏風。(原本 重要文化財・紙本金地著色 6曲1双 桃山時代 細見美術館蔵)

西の丸庭園から見た大坂城天守。

 

 昭和44年、松下幸之助氏から寄贈された茶室「豊松庵」。

 

 重要文化財・千貫櫓。大阪城に現存する城郭建築で一番古い建物、大坂城大手口を守る重要な隅櫓。

 大坂城大手門の内側、大きな桝形。

 大坂城大手で奥に大手門(高麗形式)がある。

 左端の櫓が、重要文化財・千貫櫓、その右が多門櫓門。

 

 大阪城公園の全体図。

 桜が開花した頃の西の丸庭園で、一年の内一番いい時期。

 

 西の丸庭園、入場券。

 

  西の丸庭園、入場券裏面。

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