先日の連休初日に出掛けた山崎城。
ランチを食べ一息つき、阪急大山崎駅から次の目的地がある、西向日(にしむこう)駅に移動しました。
駅を出て歩くこと2、3分、早くも目的地に到着。
主人は一度行ってみたかったと言うところ、長岡京跡です。
こちらの朝堂院公園は朝堂院で、日本古代(飛鳥時代・奈良時代・平安時代)の都城において、国家の政務・儀式を行う場だったそうです。
↑建物の中が管理事務所のようになっており、中からボランティア(?)の方が出てきて、「お時間あったら5分くらいで説明しますが」と声をかけて来てくださったので、お願いしました。
ちなみに長岡京は延暦3年(784年)11月11日に平城京から遷都され、延暦13年(794年)10月22日に平安京に遷都されるまで機能しました。
ウグイス鳴くよ(794)平安京って覚えましたね~
説明によると長岡京は近年まで幻の都とされていたが、歴史地理学者中山修一を中心として発掘が開始され、1955年(昭和30年)には大内裏朝堂院の門跡が発見され、1962年(昭和37年)には大極殿跡が発見され、国の史跡に登録されたそうです。
未完成で放棄されたとした従来の定説と異なり、
・難波宮や他の旧宮、平城京の建造物を移築し、かなり完成した姿であった
・平城京、平安京と並ぶ京域を持つ都であった
ことなどを丁寧に説明していただきました。
朝堂院 西第四堂跡
朝堂院公園(史跡 朝堂院跡)
〒617-0004 京都府向日市鶏冠井町山畑
長岡京は山城国乙訓郡(現在の京都府向日市、長岡京市、京都市西京区)にあったそうです。
大極殿や朝堂院、内裏など国の重要な諸施設が立ち並んでいたのは、現在の向日市に当たるそうです。
こちらの石塔寺(せきとうじ)前で、中納言だった藤原種継が暗殺されたそうです。
さらに近くの、大極殿(だいごくでん)公園にも行きました。
大極殿は古代の日本における朝廷の正殿、つまり桓武天皇が臨席する場所だったそうです。
小安殿は大極殿の後ろの建物を意味するそうです。
奥に見える赤い柱のようなものは宝幢(ほうどう)と言うもので、復元されているそうです。
中央に立つのが大柱、両側に添柱があり、3本の柱と横板で構成されている。
宝幢は古代中国伝来の儀式用旗飾りをいい、天皇の権威を象徴したそうです。
大極殿公園(史跡 長岡宮大極殿・小安殿跡)
〒617-0004 向日市鶏冠井町
向日市のマンホールです
亀甲様模様の真ん中に昭和57年以前の市章がデザインされたもので、現在は昭和57年に市制施行10周年を記念して制定された新市章と、市の木サクラがデザインされたマンホールもあるそうです。
最初の公園でいただいた地図に、ちょっと前に知ったお城跡物集女城(もずめじょう)が載っていました。
電車で2駅だったので、行ってみましたよ。
阪急洛西口駅から歩いて約15分ちょっとでした。
ただ地図はもらっていたものの、民家や私有地が並ぶところでかなり探し難かったです・・・
なんとか探し当て、説明板だけ撮影しました
土塁跡などもありましたが、個人の私有地(畑)だったので、撮影はしませんでした。
なんだか不完全燃焼~
物集女城は秦氏の一族である物集女氏の居城でした。
織田信長が上洛を果たし、細川藤孝に西岡周辺を支配させると、物集女忠重はこれに抵抗したため、1575年(天正3年)に藤孝の居城である勝龍寺城で謀殺され、物集女城も廃城とったそうです。
物集女公民館では物集女城の案内図や、復元模型が展示されているそうです。
物集女城跡
京都府向日市物集女町中条
この後は、この日のお出掛けで最初に計画したところにやっと行きました。
また記事にいたします。
明日は夏越の祓。
半年分のケガレを落とす行事で、この後半年の健康と厄除けを祈願する日ですね。
関東では以前はあまり聞かなかったですが、最近は体験出来る神社が増えて来ているようですね。
厄落としの方法として茅の輪くぐりが行われますが、明日は9時から夕方までロングの仕事なので、行けそうにない。
なので明日、水無月を買ってきてもらうことにしました。
京都では昔から甘く食べやすいお菓子でエネルギーを補給し、厄祓いをしていたそうですね