京都地下鉄・京阪大津線1dayチケットで滋賀にお出掛けした8/10。
この日は京阪に乗りましたが、京阪と言えばおけいはん。
「京阪のる人、おけいはん」と言うキャッチコピーで、京阪のイメージキャラクターを務めるおけいはん。
現在は6代目で、出町柳けい子と言う設定だそうです(笑)
今回初めて知ったのだけれど、初代は淀屋橋けい子、2代目は京橋けい子・・・というように、京阪の駅名がついた名前の設定の様です。
大津市のマンホール、あちこちで見かけましたがこれがとっても綺麗だった
マンホール蓋リニューアル選挙で決まった飛跳ねまん蔵マンホールカラー版だそうです。
湖上に打ち上がる花火は、大津の夏の風物詩びわ湖花火大会をイメージしたもの。
他に大津市の花である叡山すみれ、木の山桜、鳥のゆりかもめもデザインされていました。
こんなデザインのもありました。
波型模様に、鍵穴が2個付いたもの。
マークは市章の中の部分を「下」という文字に変えたもの。
さて三井寺を後にし、三井寺駅から再び京阪電鉄石山坂本線に乗り、終点の坂本駅の1つ手前の駅松ノ馬場駅(まつのばんばえき)で降り、坂本城址に向かいました。
駅から歩くこと数分、Googleマップに近江坂本城外堀遺構と設定されている場所に行ってみましたが・・・歴史的なものには見えませんね。
さらに歩くとある、坂本城址碑。
近くにあった、明智塚。
明智塚の案内板
この辺りの地主さんが建ててくれた案内板の様ですね。
こちらもまた近くにあった、坂本城本丸跡碑。
文字が全く読めない
この碑があるところは、この建物の前でした
草が生い茂り門は閉まっていて、廃墟になっていました。
後で調べると、キーエンスと言う会社の研究所だったようです。
廃墟の前にあるなんて、なんだか悲しいですね(しかも字は読めない)。
坂本城は織田信長の命により明智光秀が築いた城。
比叡山延暦寺の監視と琵琶湖の制海権の獲得が目的であったと考えられているそうです。
堀は琵琶湖に繋がいており、城内から直接船に乗り込めるようになっていたそうです。
宣教師のルイス・フロイスは著書日本史にて「明智の築いた城は、豪壮華麗で信長の安土城に次ぐ城である」と記しているそうです。
廃墟があったところから駅に戻りました。
歩くと20分弱、しかも上りの坂道だし暑いしで疲れた
駅に戻った時点で17時半ごろ・・・気軽に出掛けた滋賀へのお出掛けだったけれど、結構時間が掛かり、さすがに疲れた。
後は最後に観たい場所がもう一か所だけあるから、最後に観て帰るだけ。
遠くで雷が聞こえてきたし、そろそろ駅に向かわないとと言うことで松ノ馬場駅に戻り、浜大津駅に向かいました。
電車に乗ったとたんに大雨になりました、危なかった~
最後に寄ったのは浜大津駅前に碑がある、大津城跡碑
浜大津駅に着くと、降ったり止んだりしていた雨がまた降りだしました。
慌てて駅前に建つ碑を撮影
大津城は京極高次の居城として知られていて、関ケ原の戦いでは激しい攻城戦が行われたことでも有名です。
関ケ原の戦い後に廃城となり、戦禍を免れた建築物の一部は、彦根城や膳所城に転用、移築されたそうです。
現在遺構はほとんど残っていませんが、大津祭曳山展示館の裏手に外堀の石垣がわずかに残っているそうです。
雨だし碑だけの撮影でしたが、最後に寄れて良かった
なんだかんだで盛り沢山のお出掛けとなったこの日、大満足で楽しいお出掛けでした