杉並花笠祭りでゆるキャラに会ったり美味しいものをお安くいただいたりと楽しんだ後は、西永福駅に戻り、京王線の下高井戸駅で降りました。
そこからは東急世田谷線に乗り換えます。
東急世田谷線は都電荒川線とともに、都内に残っている路面電車。
世田谷線は三軒茶屋駅と、下高井戸駅間を運行していて、駅数は10駅、路線総延長は5㌔です。
この日は東急の他のエリアにも行きたかったので、東急ワンデーオープンチケットを購入。
大人660円で、東急線全線に乗れます(世田谷線では購入不可)。
東京に残る路面電車、いいですよね
下高井戸駅から3駅目の、宮の坂駅で降りました。
逆側の線路には、招き猫柄の車両が
なんで招き猫か知っている方もいると思いますが、その話はまた次回
上写真の奥に写っている車両は、宮の坂区民会館前に展示されている元江ノ電601号。
世田谷線の前身である玉電が廃止された後、一部が江ノ電で利用され、江ノ電で廃車になった後601号がここで保存展示されているのです。
外観はかなりボロボロですが、中は思ったよりきれい
絵の島で潮風に当たり、さびちゃったのかな~
すぐ近くに世田谷八幡宮があるので行ってみました、主人は初めてです。
源義家が11世紀後半の後三年の役の勝利を祝って創建したと言われているそうです。
参拝記念の顔出しパネル
ここには土俵があるんです。
毎年9月15日前後の大祭の時、東京農大相撲部などによる奉納相撲が行われているそうですよ。
力石・・・重そうですね
なぜか社殿の写真を撮っていなく、以前撮影した写真を。
こちらは昭和39(1964)年に建てられた社殿です。
世田谷八幡宮
東京都世田谷区宮坂一丁目26番3号
この後は駅に戻り、世田谷八幡宮があった側の逆側に向かいました。
まずは招き猫絡みのところに寄りましたが、長くなるので次回に。
その後すぐ近くの世田谷城址公園に寄ったので、先に記事にします。
世田谷城址には土塁や空堀が残っています。
世田谷城址公園は世田谷城があった場所につくられた、世田谷区唯一の歴史公園です。
世田谷城は足利氏の同族である、吉良氏の居城でした。
天正18(1590)年、吉良氏の代に豊臣秀吉の小田原征伐が行なわれ、豊臣方に接収され廃城となり、石石材は江戸城改修に使用されたそうです。
現在城址は開発が進んでいますが、近くの豪徳寺付近に本丸を置き、世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたと考えられているそうです。
世田谷城(世田谷城址公園)
東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
週末に、世田谷のボロ市が開催されます。
ボロ市通りでは毎年1月15・16日、12月15・16日の4日間ボロ市が開催されています。
いわゆるフリマです。
期間中は延べ100万人近くの人々で大混雑するそうで、両親も2度ほど行っています。
歴史は古く、1578年に小田原城主北条氏政がこの地に楽市を開いたのが始まりだそうです。
(詳しくはこちら http://www.setagaya-line.com/trip/boroichi/#goto)
ボロ市通りに世田谷代官屋敷があるのですが、ボロ市の時には表門が開門するそうです。
1737年築で、代々代官として世田谷を治めた大場家一族が明治維新まで使用した屋敷だそうです。
お代官様って、何となく悪い人の印象(時代劇の影響・・・)
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昨日PCが戻ってきました。
ヤマダ電機で調べた感じではウィルスソフトが変な動きをしていたそうで、一度削除し、再度インストールし直したそうです。
また他にもいらないソフトを削除し、PCの中も調べるため、大元のほうに出してもらいました。
でも何も異常が見られないとうちに電話があり、ヤマダ電機に戻ってきた後、うちに戻ってきました。
熱を持ちやすいので冷やすための台を買い、昨日ネットに繋ぐ作業をしてもらいました。
その時は前よりちょっと遅めくらいな感じで動いていたので良かった、と思っていたのですが・・・
今朝立ち上げてみたら、1つの動きの後次に進むのがとっても遅い。
は~、微妙な感じで疲れる
昨夜のうちに年賀状のための住所録や、必要な写真はUSBに取り込んでおいたので良かったですが、年賀状作成は出来るといいなあ。