言葉が伝わらなくても、「何かを怒っている」、「なんか喜んでるみたい」ということは誰にでも理解できると思う。

流石に、ディズニーランドで「ニコニコ顔で怒っているミッキーマウス」は解らないかもしれないが。

 

年の功が増えると、もう少しだけ詳しくわかるらしい。

ましてや言葉が母国語でないし、習ったことも無いので、その手の感性がこの7年で磨かれたとしても不思議はない。

殆どテレパシー(カンともいうてへぺろ)で会話しているのと大差ない日々。


その結果、社員達も、段々ウソやごまかしは出来ないと思われてきたようで、

聞かれると観念して、「実jは・・・」と言うようになってきた。

それでも、まだ、ところどころ誤魔かしが入るから、怒鳴りつける。

また、ちょっと油断すると手を抜いたり誤魔化したりとうのも人の常であろう。人間それほど強いものではない。

問題があることに怒っているのではなくて、それを誤魔化して、無かったことにしようとするから怒るのだ。

それを放置すると、何も問題が解決されないままになる。

 

シリアスに会社や社員の事を考えるほど、厳しい事を言わなければばらない。時間も人もお金も有限。

「時間が有限」だというのは、例えば「納品が15:00までなのに」等と言う状況が製造の現場では頻繁に発生するといえば解るだろうか?

だから、誤魔化されたり機嫌をとったりされても最終的にはお互いに不幸な結果、更にはお客様に迷惑をかけかねない。

当然、厳しく真相を追求して、確実に解決できるまで突き詰める。

 

ふと、昔の”恐ろしかった大企業の取締役”と、同じようなことをしている自分に気付く。

当時、噂が先行して耳に入っていて、其の恐ろしい見かけ(失礼!でも鬼の顔に似ている。角が無いだけ)と、

自分に対してでは無くてもいつも怒っている顔ばかり見るものだから、実際にどうかとは無関係に恐れていた。

今にして思えば、真剣に顧客やビジネスを考えていた氏から見ると、

適当なことばかり言って保身に走る中間管理職達や、笛を吹いたらビックリしてすくみ上る社員達に、

なんとか真剣に取り組んでもらいたいと思ってのことだったのではないだろうか?

 

ただ、当時の私には、それが解らなかった。

ということは、今、正にインドネシア社員にも私の真意は解らないのだろう。

あまりよろしくないことだが、当時私は、恐怖感により、敬遠などしていたことを思い出す。

氏にしてみれば、もっと、ずかずかと踏み込んできてもらうなり、がっちり取っ組み合いで真剣に一緒に仕事をして欲しかったのだろうと

「昔、怖かったオヤジ(取締役)の気持ち」が最近やっとわかった。

 

今、自分が、インドネシアの社員達に対してどうであるか、彼らがどうとらえているか、

このところ結構、厳しかったことを思い浮べると、

あのころの若い自分が取締役に対しての気持ちと同じものを持っているに違いない。

実際何人かは、そうと解る。

ただ、それはそれでもったいない気がする。

 

そこで問題。この先どうしますか?

1) かつての取締役を見習い、結果がでるまで押し切る。

2) 方針を変えて、ニコニコ聖人に変わる。

 

正解はどうなんでしょうね。。。大企業で利益じゃぶじゃぶ

なら2の一択なんだけど。

 

3) さらに、徹底的に敬遠できないくらい更に深く食い込む

でいくかグラサン