日本のいわゆる大企業のサラリーマンのガキだったころ、

「お茶だして!」といわれたら、「え~~~今プログラムのデバッグしているし、なんで~?」とか実際思っていたし、

大企業なだけに、人もたくさんいて、

そんなこと、セクレに言ってよ」とか思っていた。子供もいいところ。

(セフレでは無いのでご注意。30年前はそんな言葉なかった。セクレタリー(秘書)の意味。30年以上前に行く方は死語だけでなく、未発生の言葉にも注意が必要。ちなみに、フルスペルでは1970年、現在の形は1990年位からが一般的らしい。変な奴になる)

 

ところが、そんなある日、

そのセクレの一人が取引先と会議中に、特に何も言っていないのに、当時はガキ(20代だったこともあった!)の私とお客様にお茶を出してくれたことがあった。

その会社では御客様に対しての飲み物は「基本自分で出す」方針だった。

なので、ボタンを押すだけで、お茶でもコーヒーでも出てくる給茶機と紙コップは常備されていたから、彼女とお茶が登場したときは多少驚いた。

 

彼女は非常に有能なのに、それを感じさせず親切で、数いる(とにかく多かった)取締役から社長、及びその秘書たちをすべて把握して、相当なレベルの調整も、やりこなしていた上に、美人(に見える立居振る舞いなのだろうけれど)で、スタイルも良く、何処かのご令嬢だと思うが、誰に対してというわけでもなく、誰に対しても、自然に必要かつ十分に過不足なく対応されていた。案の定、割とすぐに外交官の奥様となって海外に行かれてしまった。

なので、私も勘違いすることなく、お仕事ができていたわけだが。。。

 

その、「お茶」だが、

蓋が付いていて(あんなもの紙コップで出せば十分とか思っていた時代)、茶碗が暖かく(熱くない)、お皿も付いていて、全然濡れたりも当然しておらず、”?”と思いつつ、蓋をあけたとき、非常によい香りが鼻に届き、"??"はてなマークビックリマークその良い香りに会談を一瞬、止めてしまったほど。

私はコーヒー派で、それまで日本茶をそれほど美味しいと思ったことがなく自分では滅多に飲まなかったくらいだったが、

飲んでみたら、「お茶ってこんなに美味しい落ち着くものだったのか?」と驚くほどだった。

 

「きっと、なにか高いお茶の葉っぱでも使って入れてくれたのかもしれない」と思って、

後で確認したら、「普通のお茶の葉ですよ」と、お茶の包みを見せてくれた。(実は見ても判らないてへぺろ

確かに紙コップに給湯器のお茶よりは美味しいのかもしれないが、あの時、会談が止まるほど美味しかったものは、それ以来お目にかかっていない。

会議の相手も、気づいたらしく、その後の会談が順調だったのは言うまでもない。

たった一杯のお茶で会談を成功させてくれた凄腕の秘書など、TVのドラマでも、そうそうお目にかかれないものだが、確かに実在した。

漫画の中の話では無い

 

一方、その会社の基本では、先に述べた通り、自分の客に出すお茶は、自分で用意する。女性に「ね~ちゃん、お茶!」とかは絶対禁句で、

その視点での話であれば、Webでも山の様に多数見つけられる。

例: 法律違反にもなりかねない女性社員のお茶くみ問題 まだやらせている企業がある!?

https://www.excite.co.jp/News/smadan/E1487233071479/

 

ある意味、実に嘆かわしい事である。

先の、女性の場合は、恐らく茶道の心得があったのであろうと、今さらながらに思う。

一期一会の気持ちで接し、お茶一つでも、これがこの世の最後にお茶になるかもしれないと、細心の注意で出せば、あそこまでお茶は香り良く、味もよく、心を安らかにしてくるものになるらしい。技も当然あるのだろう。並大抵のものではないだろうからそこに至るための、心構えがないことには、到達できまい。

残念なことに、大半の”ね~ちゃん、あんちゃん”はWeb程度の認識しかない。

もっと、残念なことに、自分で何度かあのお茶を再現しようとしたことがあるが、一度も成功に至らない。えーん

 

あれから数十年が経過して、現在、

インドネシアでお客様がきても、現在はOB,OGなどがコーヒー、お茶、水を出す。

インドネシアはカースト制度(絶対彼等は認めないが、偉そうにゴミを散らかし、食い散らかす方が偉いと思っている。また、毎朝清掃したり、お茶の上げ下げをする連中や、お手伝い、ナニー、運転手を見下しているし、彼等もそのように扱われないと面食らうし困るらしい)

とはいえ、零細企業の場合、社長の来客に対して、お茶を頼むということは、半分顔合わせの意図もあったりして、誰に対してでも言っているわけでは無いのだが、日本同様の勘違い女もいた。

 

先日お茶を持ってくるよう言ったら、「はい」といって無視。内心は先のWebと同じなのだろう。もしくは数十年前の自分。

「私はOGではない!」位に思っているのかもしれない。

「なら、もういい。お前は外との会話にでてくるな。口笛」と社長さんは思っているのだが、

チャンスとして”お茶出し”をあたえても、自ら放棄しているのだから仕方がない。

先方のトップに対してどれだけいい印象をもってもらえるのかで、その後のビジネスの滑らかさは格段に変わるということは、おそらく一生、理解できないのだろう。

 

”お茶”、その昔、利休と信長が交わし、秀吉がたしなんだと言われている。それぞれ、思惑は異なっているだろうし、実際にその場を見ることもできないので、空想でしかないが、彼等も時にはたてる側にも回っていたのかもしれない。

立場、身分を無しにして。。。といいつつも、いわゆる社長どころではなく一国のトップがお茶をだす。

その心を頂くというやり取りがあったとしたら、日本は素晴らしい国だと思うのだが・・・・

 

チンピラマスコミのせいもあって、日本にはそのような美くしい習慣は既に記録にも残っていないのかもしれない。

先日、インドネシアの女性社員にそういうものがいたことで、

ふと30年以上も昔の美味しいお茶を出してくれたセクレタリーのことを、思いだしたが、

所詮インドネシアでは無い物ねだりなのだろう。いや、日本でも既に消滅している話かもしれない。

インドネシア社員達の勝手な思い上がりや勘違いを是正していくのも、この仕事ではあるが、

「じゃ、日本ってどうなのさ・・・」とか考えると。。。

どうなの?by 既に離れて久しい浦島太郎。