皆さんこんにちは菊澤多門です。


「いいですよね、あの人達は。国会で名前を呼ばれる度に立ったり座ったりするだけで、いっぱいお金をもらえて。それも私達の税金でしょ?」

「上の人達に上手いことヤラれてるんですよ、やっぱり疑わないと」

「それ雇用契約書に書いてあった?労基に相談しに行くのがいいよ」


私はこんな話を聞くと、
哀れな気持ちが怒濤の如く込み上げてきます。

ミジメだと思わないのか?
と、問いかけたくなります。

支配されているという、
固定観念や被害妄想から出ている言葉だと思うからです。

こういう言葉を使う人には「上の人達」に対するひがみや妬みがあるようです。


「上の人達」ということは、それに対し、
自分を「下の人達」と見ているわけで、

「下の人達」の目線で見て、
「上の人達」に不満を持つのでしょう。

誤解を恐れずに言えばこんな考えの方が、
「無産階級」
として共産主義者に手なずけられるのです。

「無産階級」は世の中を支える大きな基礎です。

問題は「無産階級」なのではなく、
弱くて利己的な「無産階級の考え」です。


乞食がダメなのではなく
心が乞食になることがこわいのです。

クレーマーが悪いのではなく、
クレーマーの心になることがこわいのです。

貧乏が悪いのではなく、
心が貧乏になるのがこわいのです。

私はそう思っています。

同じ日本人でも昔の人はそうじゃなかった。


コンビニのレジで商品を清算している時、

さっき出て行ったばかりの作業員風の男が、
怒鳴り散らしながら、
ガラスドアを蹴破る勢いで入ってきました。

店内は一瞬にして凍りついた雰囲気になり、
皆、何事かと固唾をのんでいます。

そしてレジの店員に、

「ハシが入ってないやないか!お前、俺を誰か分かっとんのか!」…うんぬん。

つまり、

お前は俺をナメているので、
箸をわざと入れなかったんだろう?

俺をナメるとヒドイ目に合うぞ。

と、険しい顔で凄んで言うのです。

私は噴き出してしまいました。

箸が入っていないのはこの男にとって、
無抵抗なコンビニ女性スタッフに、
これくらいの勢いで口撃するような大問題なのです。

このような考え方。
とても哀れに思います。

自分が客だからエライと錯覚しているのです。

この類いの人は、
金とプライドが無くて、
時間はふんだんにあるのでいくらでもゴネます。

おしなべて、
サービス業の方に対する姿勢には、
その人の人格がよく現れるものです。


お茶を飲みたい。
だけど問屋さんでなら24本入り1ケース単位でなきゃ売ってもらえない。
その上、そのお茶を冷やさないといけない。

弁当を食べたい。
だけど、
買い物に行って40分かけて作るのは大変だ。

コンビニではお金を払えば好きな物を必要なタイミングで提供してくれる。

しかも自分が欲しい物を買っただけで、

客として丁寧に対応してくれて
「ありがとうございます」
とまで言ってくれる。


とても便利だし、ありがたい。
こちらこそありがとうございます。

という気持ちはさらさら無くて、


こっちは客なんだぞ、言わせてもらうからな!
俺たちの金を吸い上げやがって!

と、何故か敵対モードになっているのです。

ねじまがって、ひねくれて、権利ばかり主張する
「無産階級の考え」です。


「どうも」の心。
これは日本人特有のもののようです。

「おかげさまで」の心。
これもまた日本人特有のもののようです。

ひと昔前の日本人は、
公の精神を持っているのが当たり前で、
それは日本人ならではの美風だったのです。



ボロは着てても心は錦

武士は食わねど高楊枝

能ある鷹は爪を隠す

そんな日本人は確実に減っているように見えます。

公園を一人で歩いているお年寄りが、
一段と寂しく見えるのは
そんな理由もあるのかもしれません。

ほんの一歩を踏み出し
話しかければきっとなら、

貴方の近所に住んでいらっしゃる、
無名のおじいさんやおばあさんはそんな尊いことを当然のように教えてくださることでしょう。
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