台風と廃村危機と徒然・・・ | 和み日和

和み日和

お茶屋女将のひとりごと

(※以下は私個人的な思考の段階の話です。)

台風21号の被害報告後、

再開にむけてがんばってた姿を知る身近な人ほど

「声かけれへんかった・・・・」

と最近色々連絡をいただくことに、

本当に愛を感じています。ありがとうエーン

 

「地域力再生プロジェクト」という京都府の助成金があり、

実は兼ねてから危惧していた「松尾という村が廃村危機にあること」についての

活動を開始すべく、プロジェクトチームを発足して活動する矢先でもありました。

ここでもその活動を発表して、色んな方々に呼びかけて・・・と思っていた矢先の

台風21号・・・・

でも、槍が降ろうが、松尾のこの問題は消えることはなく、

切実にどうにかせねばならない現実問題であり、最大の課題なのです。

 

松尾は小さくとも『寺百姓村』の名残のある日本らしい村です。

百姓村があり、門前町がある(3軒の)。

お寺は宗教的のみならず、社会的にも村の核となっていた。

少なからず、舞鶴市という街の中には、こういう「村」が少なからず存在していて、

廃村になったり、手つかずになっている現実は否めないのではないでしょうか。

 

土地や建物の関係性は「村」というものの土台に「寺」がある。

ここを書面上では「宗教的関係性」とらえられがちですが、

これが平成において廃村危機を迎えた日本の村の現実であって、

それを「社会的」に捉えられる世の中ではすでにない。

この時代錯誤の中で、説得することの大変さに直面し、

1日、1か月、1年と、「書類上、正しくあらねばならない」と、寺の存在を切り離さねば

助成金も通らないという現実にもぶち当たり、

ちょうどひざまづいていたところでもありました。

 

私は流々亭を守ることもですが、

松尾という村も守らねばなりません。

色んな松尾の村のしきたりだけじゃなく、伝統的な空気も含め、

農作物や、いろんな、いろんなことと共にあって、初めて流々亭なのです。

 

松尾心空お上人に、「長い目で見て、(お前たちの人生において)ここに居ることが本当に幸せだろうか」と、心温かく案じていただきました。

お商売という面では、冬になれば青葉山の積雪で営業もできず、雪かきにせいをだし、

彼岸前、お盆前には、下界では想像つかぬほどの「山肌」の草刈りなどもあり、

ただここで生きるということや、自然が相手であるということがいかに厳しいのかを、

毎日が西国巡礼のような厳しさの中にあるような場所で、

確かに、自分でも、どうしてなのだろうと不思議でなりません。

 

「こだわる心が世界を狭くする」

 

を絵に描いたように生きているのだろうかと、

15年は自問自答しているかもしれません。

 

だけどきっとこの厳しい環境に生きていると、愛が見えてくるというと、

あまりに綺麗な表現ですが、この表現に尽きるんですよね。

お寺の前にいますと、色んなことを背負う方々が身を寄せ、心を寄せてくださいます。

病とひそかに戦われていた笑顔の優しいお客様には、

「寂しいときも、苦しいときも、きっとどんな時もあっただろうに、君たちはずっと笑顔や。

 その笑顔に、こっちが救われる。ずっとずっと、ずっとずっと、この場所にいてほしい。

 勝手なお願いやけどな。ここ(松尾寺)はみんなが巡ってくる寺やから、あんたらがおってくれると思うだけで、ここに来るのがさみしくない。」

とおっしゃられたその意味は、後に他界されてよくよくわかりました。

 

そのかみは いくよへぬらん たよりをば

ちとせも ここに まつのおのてら

(第29番 御詠歌)

 

勝手な使命感かもしれませんが。

だから、絶対にここに帰ってくるのだという一心で、

私も闘病することになろうが、いかなるときもただその気持ちひとつで

「やっと」ここに帰ってきたところです。

そこはご存知の通りです^^

 

だけど、もう、そんなにたくさんの時間をかけているわけにもいきません。

村のことを伝承してもらい、継承していくには、

立ち止まってる暇もないのです。

 

痛々しい現実を背負って(流々亭の老朽化含み、村の掟、村の現実)

それでもどうにかせねばとあくせくしている私に、

助成金とは別に「クラウドファンディング」というものを紹介してくださった方と出会いました。

寝耳に水でしたが、私はそれにかけてみようと思い、

今クラウドファンディングのご担当の方に現状をすべてお伝えし、準備を進めていただいています。

「ご購入型の寄付金」のようなもので(私も初めて知ったのですが)、

ご購入いただいたとしても、目標金額に達成しなければ、不成立ということで、

この話はご購入者も含め、私にとっても「無かったということで」ということになり、

達成して初めて、そのお力添えをありがたく頂戴させていただくというものなのだそう。

 

廃村するわけにはいかない。

流々亭(のあの伝統残る家屋)を廃墟にするわけにはいかない。

どうすればいいか悩むと同じくらいの速度で、

色んな方にご思案いただき、前に少しずつ進んでいます。

 

ここをご一読くださいました皆さまには、

「松尾」という村のこと、また日本の村には寺がありき。

そしてそもそも日本は仏教徒であるということ。

「宗教に加担する」という考え方と、現実廃村危機の問題の根底にあるものは

全然違うということを、ご理解いただけたらと思います。

 

西国霊場の札所が舞鶴市にあるということも、

これをもっともっと舞鶴でも大切にしていただきたいと切に願います。

市バスも山にはあがってきません。

過酷な環境ですが、需要がないという理由でした。

お遍路さんたちは松尾寺駅から徒歩50分かけて山を歩いてくるしかありません。

村のおばあちゃんたちのご苦労もすさまじいものでした。

スーパーの袋の中でも一番小さな袋に、

カップ麺の中でも一番小さなカップ麺を買って、

山道を歩いてかえってこられていました。遭遇すると「●●さん!流々亭です!乗ってください^^」と声をかけると、90度に折れ曲がった腰を「はいーー!!」と伸ばして車に乗り込まれる姿が今でも思い出です。そしてその小さな袋から小さなカップ麺を1つ「お礼に取ってください!」と渡されるのです。(断りますが、何回かに1回は「頼めなくなるから」と渡されます)

 

何年も何年も前の土砂災害で崩れた山肌には未だ、

鉄製の壁に、土のうが積まれたままで、

ただでさえ細い山道が、一層狭くなり、

舞鶴側からのルートでは観光バスはあがってこなくなり、

松尾寺は第4駐車場ということで福井県側からのきれいな道を観光バスはあがるようにされ、

ほぼ流々亭にはツアーの方々はお立ち寄りになられなくなりました。

(時間の関係と、そこを通らないことによって)

正式な舞鶴市からのルートを通る方々にとっても、危うい道です。

それもこれも「需要がない」からなのでしょうが、

需要はあります。年間の御参りを含め、どれだけの通行があるでしょうか。

もっと村が活気づけば、何かが変わるのかもしれないと思い、

そうやって色んな思い出とともに、動かせなかった色んなことも含め、

これから、何かを変えていきたいと、

まだ、私は思うのです。

 

 

 

 

 

 

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