『はしれ ディーゼルきかんしゃデーデ』に涙…

引退間近の貨物列車DDの感動の実話


 

昼間に何気なくつけていたテレビに、お笑い芸人中川家の礼二さんが駅員さんの帽子をかぶっている姿がみえて、
「あっ、鉄オタの番組だ〜」と、嬉しくなって、番組が終わり近くみたいだったけど、チラリと見てみました。

なにやら、貨物列車のことを鉄オタさんたちが熱く語っている様子でした。

自分も、ほんのちょっとだけ鉄オタかもなので、貨物列車も眺めてしまうんですよね〜
家の近くに線路があって、時々走っているのを見かけたりするので。

解体間近の山口県にいたDD51形ディーゼル機関車(デーデ)が、東日本大震災により物資が途絶えている東北に向けて、石油や灯油を届けるために最初に出発したのだそうです。

通常の線路が分断されたため、神奈川県根岸〜新潟〜福島のルートで。
途中、電線が途絶えている線路があるため、白羽の矢が経ったのがディーゼル機関車だったそうです。

途中、雪と錆のために車輪がすべり、坂を上れず立ち往生しているとこに、仲間の小さなディーゼル機関車が助けにきて、後ろから押し、無事に坂を上りきり、燃料を郡山まで運ぶことができたそうです。

先頭のディーゼル機関車が「ピーッ」と、鳴らすと、後ろの小さなディーゼル機関車が「ピーッ」と、合図して走り出したエピソードを聞いていた司会の今田耕司さんは、「まるで、トーマスの世界やな」と、話してました。

私もそう思いました。
まるで、ディーゼル機関車たちが生きているように思え、みんなで力を合わせて寒さで震えている被災地の方々に早く灯油を届けてあげようと合図し合っているように聞こえました。

何度か被災地に向けて石油・灯油を届けて、お役を果たしたディーゼル機関車(デーデ)。
45年間、走り続けたそうです。

解体された様子の写真が映像に流れた時は、涙が止まらなくなっていました。
最後に、心臓ともいえるエンジンが映った時、
心の中で、「お疲れさまでした。45年間、ありがとう。凄い重要に任務を果たしましたね」と、つぶやいていました。

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