丸尾末広の「少女椿」の映像

 

を観た。

 

 

作品自体は漫画では読んでいたはずだ。

 

スエヒロさんの本は実家にあったからいくつも読んでいる。

 

ただ時代も違うし創作物だし独特な作風なので、現実味をあまり感じなかったんだ。

 

でも映像にされたものを観たら・・・

 

なぜか見てはいけないものを見てしまったような、

 

ストーリー自体がとんでもない現実味を帯びてきて、

 

日本にもこういう時代があったことを忘れていたことに気づく。

 

明治・・・

 

親を亡くした少女は売られて働くしか選択肢がなかった時代。

 

体に欠陥のある人間は見世物小屋ぐらいしか生きる場所がないような時代。

 

学校の歴史の授業では普通そんなことは教えられない。

 

歴史の裏にある、時代の闇。

 

日本ばかりの話じゃなく、世界中にそうやって生きていた人たちがいたんだよね。

ホロコーストしかり、ドレイ制度しかり。

 

金平糖さえ夢のようなお菓子だった

 

ただ普通に好きな人と一緒になって、毎日食べるものがあって

 

破れた着物を繕ったり

 

家のことをしながら

 

お父さんが仕事をして食べていけるだけのお金を家に入れてくれれば

 

貧しくても幸せだった時代

 

 

現代に生きる私たちのほとんどが見向きもしない平凡な幸せ

 

 

ただ必死に生きるしかなかった

 

そんな人たちがいのちをつないで

 

今私たちは存在してる

 

 

それを忘れてほしくないから

 

大人たちはヒロシマやナガサキの悲劇を伝え続けるのだろうか

 

アメリカにも住んでいた私には一番語る資格がないけれど

 

今自分にあの時代の人たちのような生き方はできないけれど

 

「そろそろ自分の思うように生きようぜ!」っていう考えも持ちつつ

 

今誰のおかげで自分が何不自由ない生活を送っているのか、

 

時々(というかしょっちゅう)たった一人で生きているような傲慢な気持ちになる私には

 

少し居住まいをただすいいきっかけとなった

 

どれだけ一人になろうとしても周りが自分を放っておかないのは

 

「てめー自分一人の力で生きてるとか不遜なこと考えてんじゃねーぞ!むかっ」って

 

やんわり伝えようとしているのかな(ガチで言ったら私ブチ切れて聞く耳持たなくなっちゃうから)。

 

 

「他人とのつながりで自分が成り立っている」ことを自覚するのが今の私の課題だ。

 

自分を横に置いてその人たちを弔い続けるのが私の仕事ではないと思っている。

 

 

その人たちがやりたくてもできなかったことをやること、

 

幸せな生を自分にも周りにも循環させる、

 

それが亡くなった人たちの思いを背負って生きることだと、

 

それが私が彼らのためにできることだと考えている。

 

 

少女椿 少女椿
 
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