じつは未だにグラウンディングの仕方ってよくわかっていないのね。

 

人によって違うのかもしれない。

 

 

私はとりあえず、目を閉じてじぶんの体を感じてみる。

 

感覚でスキャニングする感じ。

 

きょうはね、自分の体で違和感のあるパーツがひとつもなかった。

 

私は完璧なプロポーションじゃないし

 

弱ってるとことかあると思ったんだけど

 

160にも満たない身長も

 

反りすぎた背中も

 

浅黒い肌も

 

左右で大きさの違う胸も

 

すぐ凝る左肩も

 

全部自分のもので

 

全部私だって感じて

 

違和感が全くないんだよね。

 

体調も、悪くない。

 

私の中にいる自分は

 

この体をちゃんと受け入れてるんだ、って思った。

 

 

精神的にも・・・

 

ほぼ毎日こうやって文章を書いていることで、

 

だいぶ落ち着いてきてるんだ。

 

学校で出された課題で始めたブログだけど、

 

実は書くことが好きだったということ、

 

アウトプットすることで自分が軽くなっていくこと、

 

FBでもツィーターでもブログでも、特に媒体は決められていなかったけど自分にはブログがしっくりくること、

 

アクセスのこととか教えてもらったことはひとつずつ試してはいるけど、

 

自分と繋がれないときは私 一文も書けないので(笑)

 

ライターズブロックが発動しているときや

 

義務感や焦りだけで書こうとしているときは書かないで1日空くこともあり、

 

それでもまた思うことが出てきたら再開して、

 

ブログ書きを楽しんでいる自分に気づいた。

 

 

書けない自分を責めなければそんなに間もあかないものだ。

 

 

 

まだ何をしていくかなんて見えないけど、

 

粛々とただこうして全ての自分を書き綴っているだけでも

 

精神が安定していく。

 

 

いろんな面を持っていて

 

いろんなことをやり散らかして

 

混沌としていた自分という存在が

 

ひとつの何かにまとまっていく感覚。

 

 

書くことで自分の中のあらゆる矛盾だらけの思考が整理されて

 

統合されていく自分の姿が見えている。

 

 

だから体とも、統合しつつあるのかもしれない。

 

 

もちろん意識してやらないとすぐ分離してしまうけど、

 

いま を見つめて書くことができている時

 

私はとても安心して解放された空間にいる。

 

 

私は多趣味だから、歌うだけの人間じゃないんだ。

 

文章も書くし、

 

踊るし、

 

アニメーションやコミックのエッセンスも入っている。

 

 

だからこうやって病気で外出すらままならない状態でも

 

言葉で発信をできるということが

 

嬉しくて仕方ないのだ。

 

エクスタシーではなく、Bliss。

 

強烈な快感とは異なる、穏やかでふんわりとした幸せ。

 

 

私がつねに求めていたもの。

 

 

表現ができることほど最高なことはない。

 

 

もしかしたら歌わずに書く方になるかもしれないし、

 

体がもっと動くようになったら踊ったり絵を描いたり芝居をしたりするかもしれない。

 

私にとって、表現のツールはひとつじゃない。

 

たぶんほかの人にとっても。

 

グラウンディングの試み(笑)を続けてきたおかげで、

 

本当の自分を出したかったんだって、

 

どんな自分も出したかったんだってわかった。

 

 

まだ何も形になっていない。

 

でも続けることで、形や進みたい道が見えてくる気がするんだ。

 

 

 

 

 


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