【後半ボタンスタディ】パンケーキと薩摩ボタンのこと | ヴィンテージボタンのおしゃべり

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個性的でかわいらしい、こだわりのアンティーク&ヴィンテージボタンたち。通販サイト、Uncutdiamondのブログです。
ありそうだけどどこにもない、そんなボタンの魅力を思いつくままに。。。

 

パンケーキと薩摩ボタンのこと・・・です。

(後半はけっこう文字がっつりなので、ご興味のある方だけ見てみてください♪)

 

久々の東京駅。  いつ見ても素敵な建物です。

(1914年(大正3年)12月20日開業、駅舎設計は辰野金吾? ←ちょっとウンチク)

 

ツリーも幻想的でキレイでしたクローバー 都会って感じですね?

 

で、パンケーキですハート あんまり甘いもの食べないほうだったのですが、最近パンケーキが好きなんだなと気づきました^▽^;

 

丸の内にあるKITTEの中のカフェ&バー ロビーにて。 名物鉄鍋パンケーキにこ

太りそうですね・・・>< 

でもおいしかったのでペロッと(できるだけゆっくり食べようと試みて)10分足らずで間食。。。(←ギャー)

 

ちなみに。

 

そんなに色々パンケーキを食べてるわけではないのですが、私の好みで勝手にランキング苦笑い

 

 王冠1位: ホテルニューオータニ SATSUKIのリコッタパンケーキ  →ふわっふわで神です。

 キラキラ2位:  雪の下のパンケーキ  → 食べ応えのあるしっかりとした生地でめっちゃおいしいです。

 チェリー3位: bills(ビルズ)のリコッタパンケーキ  →  リコッタばっかじゃん!となりそうですが、シドニーの本店で食べて感激しました。

 

後、完全に自分の好みですが、4位は星野珈琲のスフレパンケーキ、

5位が大山にあるピノキオのめっちゃぶ厚いパンケーキ(メニュー表にはホットケーキって書いてあるけど)

でも、好き嫌いがないので基本今まで食べてるものは全部美味しかったですにこ

 

 

皆様のオススメのお店があれば是非教えてください~♪

12月になって時間がもう少しできたら最期にいくつか行ってみたいと思ってますウインク

 

 

 

・・・パンケーキで勝手に1人で盛り上がってしまいましたw汗

 

 

ここからはボタンを少し。

今ショップに出してる薩摩ボタンたち。 おおよそ1900年代半ば頃と思われるものです。(1950~60年代くらいと思います)

 

☆☆ショップのお休みまでもう少しなので、できるだけ水曜木曜&週末の2回に分けて出品しようと考えてます。

   もしよかったら見てみてくださいウインク

 

お土産用(輸出用)に作られたと思われる、小さ目の薩摩ボタンで、裏面にはJAPANの文字。

こちらもヴィンテージ薩摩ではありますが、薩摩ボタンの歴史の中ではモダンにあたる、新しいものになります。

 

せっかく薩摩ボタンをアップしたので、ご興味ある方はちょっとだけ豆知識にお付き合いください花

(薩摩ボタンの資料ってあるようであまりなくて、、、色々なところから引っ張りだしてなんとかまとめてみました><)

 

えんぴつ【ちょっぴり歴史的背景】

薩摩ボタンは日本で作られたボタンですが、そもそも古来より日本人の日常着は着物、ボタンを使う文化はありませんでした。

つまり薩摩ボタンは、ほぼ海外輸出専用に作られたものと言えます。

時は江戸時代、1853年のペリーの来航で、欧州の植民地政策に対抗するべく幕府・各藩ともに資金が必要となります。

日本のセラミック産業の技術は素晴らしく、また他の手工業に比べて量産しやすかったという点において、

この分野を発展させて輸出産業にしてしまおうという動きが見られるようになります。

薩摩という名前の通り、元々は薩摩地方(鹿児島県)の窯で作られていたもので、

薩摩藩の島津氏が御用窯を設置して世界に広めるきっかけを作ったとも。

ただ、一番最初に薩摩ボタンを作り始めた正確な時期については不明のようです。

 

初めて薩摩焼が公に世界の目に触れる機会になったのは慶応3年(1867年)のパリ万博とされています。

その後1873年のウイーン万博での大々的な成功を通して、19世紀末~20世紀初頭にかけて薩摩ボタンの輸出は最盛期を迎えます。

そのころ時はすでに明治時代、廃藩置県の後で民営窯も作られるようになりました。

このころは本家の薩摩地方から職人が全国に散らばり、京都(京薩摩)や東京をはじめ、

色々な地方で薩摩ボタンが作られるようになります。

(京都で作られたものが東京に送られて、そこで装飾が施されたりなどもしていたようです)

つまり、鹿児島で作られていなかったとしても、薩摩焼のボタンを総称して薩摩ボタンと呼ばれており、

輸出用に大量に作られた薩摩ボタンは本家薩摩地方で作られたものはほとんどなかったとも言われています。

こうした薩摩ボタンは、おおよそ1960年くらいまで生産されていたようです。

 

えんぴつ【薩摩ボタンについて】

美しく繊細な貫入、優しいクリーム色(ベージュ地)、ときにはグレイッシュなクリーム色、

そして多色使いの美しい上絵つけが特徴のこのボタンは、当時の職人により1つ1つ手描きされていました。

古いものになると、裏面に家紋や作家名、窯名などが記されたバックマークを見ることもできます。

 

かなり古い資料なので白黒なのですが、上の写真の左3つ、このボタン足はCurved Needle Shankと

呼ばれるフラットなタイプで、元々の薩摩ボタンはこのボタン足で作られていました。

しかし・・・このボタン足は欧米の顧客に好評ではなかったようで、次第に作られなくなっていきます。

 

輸出用のニーズに合わせて作られた新しいデザインのボタン足が右の色付きのボタンのもの、

ボタン足は丸く、少し高くなっており、その部分だけ釉薬が塗られていないタイプに変わっていきます。

 

カラー写真発見。真ん中がCurved Needle Shank、両端がそれに替わって主流になっていくボタン足。

 

この両サイドのタイプが次第に薩摩ボタンのスタンダードなボタン足になっていくわけですが、

逆に言えば真ん中のような、Curved Needle Shankのボタン足のものは非常に古い、

初期の頃のものと判断できる1つの材料と言えます。

(※薩摩ボタンの裏面、窯元や職人の名前を入れたバックマークなどだけでは、年代の判断は非常に難しいようです)

 

今我が家にはこのあたりの古い薩摩ボタンが手元にないため、こちらの本で紹介されている薩摩ボタンでちょっとスタディを。

(というよりも、初期の頃の薩摩ボタンを見つけるのは至難の技、そしてあったとしても信じられないくらい高額です。。。)

 

綺麗ですね~キラキラキラキラキラキラ ボタンだけでなくバックルも作られていたんですね。

絵柄の細かさや、微細な貫入が芸術的です。

 

そしてこの薩摩ボタンは、海外顧客のニーズに合わせてゴージャスに。

元々は日本的で質素だった絵柄は、どんどん煌びやかに、金色も明治の終わり頃から大正時代にかけて

ふんだんに使われるようになっていったようです。

 

この頃の薩摩ボタンによく見られるのが、背景に金色の点画を用いている絵柄です。

そして浮世絵のような絵柄や美人画は特に海外のコレクターに人気で、

東京の窯元によってこういったデザインのものは頻繁に作られていたようです。

そして価格設定は、出来上がりの良し悪しを見てそれによって決定していたんだとか。

写真のように煌びやかでハイクオリティーの薩摩ボタンが作られていたのは、第一次大戦前の昭和の初めくらいまでだったそうです。

 

 

話は変わって。ちょっとだけ薩摩ボタンの年代についてのヒントを。

いくつかの薩摩ボタンに時折見られる、コバルトブルーの縁取りや裏面の色。

これらは1870年以降に作られたものと推測できます。

なぜなら、それ以前の日本にはコバルトブルーという色味は使われておらず、

GOSU BLUE(呉須) =古くから染付などの磁器に使われている青藍(せいらん)色の顔料。 この色味が使われていました。

(とはいえ、このコバルトブルーのバックまたは縁取りの入っているものもけっこう古い部類に入ります)

 

元来、日本で好まれていた色味はもっと地味で渋いものだったのですが、海外のニーズに合わせて

色味も絵柄もどんどん煌びやかに変化していったものと思われます。

 

 

それを示すユニークなボタンがこちら。 鳥のキウイでしょうか、日本にはいないはずの鳥がモチーフです。

輸出用に作られていた薩摩ボタンは、海外の顧客が欲しがるような絵柄を追及していったことが伺えます。

 

こんな珍しい資料を見つけました!

こちらも薩摩ボタンですが、海外コレクターに特に人気だったのが浮世絵で、

このボタンのモデルは東海道五十三次です。

(このほかにも、駅や宿場をモチーフにした依頼はあったようです)

 

このボタンがいつくらいのものかはちょっとわかりませんが、欧米のコレクターが希望する特別なオーダーを

受けて薩摩ボタンが作られていたのは、1950年代~60年代初めにかけてよく見られました。

(そしてやはりオーダー品は少し割高だったとか☆)

絵柄のモチーフは猫や犬、馬、星座など西洋風なものが好まれたようです。

 

最期に追加余談。

右の芸者さんと思われる女性のボタン、キレイですね~キラキラ 恐らく最高級の白薩摩と思われます。

ちなみにこの女性3人のボタン、薩摩によく見られるゴールドや黒っぽいの縁取りがないです。

ゴールドの輪郭が用いられるようになったのはおおよそ1905年(明治の終わり)頃からとも言われています。

そして左上のボタンの赤いバックマーク、轡(くつわ)十字と呼ばれる島津藩の家紋入りのレアボタンです。

この2つ、そこそこに古いものなんだろうな~と推測できます。

(※とはいえ、実は家紋入りのものは島津藩のある鹿児島で作られたものではない説が有力のようです。

  というのも、藩の家紋を職人が独自に入れるのは不敬と見なされるため、藩主の勅命でもない限りは難しいようです。

  よって、廃藩置県後に京都の職人によって入れられてたものであるという考えが強いようです)

 

 

他にもたくさんの素晴らしい作品が世界に眠っている薩摩ボタンですが、市場に出ている数自体が非常に少なく、

特に19世紀等、古い時代のものの入手は困難です。

(今市場で見られるものはほぼ20世紀に入ってから、全国の窯元で作られた薩摩ボタンが多いです)

 

 

つらつら書いたのでちょっと分かりにくくなってしまいました・・・^▽^;

薩摩ボタンのちょっとしたお話でした花

 

 

おまけのお話。

以前東京でオープンしていたのですが、大阪に移転→再度東京でリニューアルオープンしたボタンの博物館。

我が国が誇るボタンメーカー、アイリスさんの博物館です。

珍しいボタンがたくさん見られる他、リニューアルの記念に薩摩ボタンの特設展示をしているそうです。

事前予約が必要です。(ちなみに今は12月半ばくらいまではいっぱいみたいです)

 

3回目なのですが、私も来月一度また行ってきます♪

アイリスボタンの博物館

 

 

お読みいただきありがとうございましたm__m

 

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