あいみょんこそ、現代の吟遊詩人だと私は思います。

 

あいみょんのほとんどの曲に複雑なコードがなく、同じようなコード進行(典型的J-POP循環コード)ではあるものの、良いメロディーが曲を支えています。

 

「君はロックを聴かない」にはDimが出てきますが、「マリーゴールド」にはSus4やAug、Dimはおろか、7thですら出てきません。

また、あいみょんがライブでアンコールをしない潔さは、ビートルズがアンコールをしないバンドだったのを連想させます。

 

今回は文学博士っぽく「詩」という観点で、あいみょんの「マリーゴールド」について書いてみます。

最初のAメロでいきなりこの曲の最高音が出てくる特異性など、音楽的な観点は考慮せず、歌詞のみを探究します。

 

  • 英語が出てこない

多くのJ-POPアーティストが英語を多用する中、「マリーゴールド」には、「シルエット」と「マリーゴールド」、「キス」、「アイラブユー」というたった四語しか英語が出てきません

 

あいみょんの歌全般にいえることですが、「ドーナツ盤」や「ファインダー」といった日本語として定着した英語しか出てこず、可能な限り日本語で表現しきっています

しかも、銀塩カメラのファインダーやアナログレコードのドーナツ盤など、あいみょんがリアルタイムで経験していないであろう昭和のものを歌っていることも、注目に値します。

 

できうる限り日本語で表現しようとする姿勢は、1969年から活動したバンド、はっぴいえんどに似ているといえます。

 

  • 異性(男性)の一人称視点

全知的第三者から描かれることが多い洋楽の歌詞と違って、J-POPの歌詞は一人称が多い。

しかし、異性(男性)の視点から描いているのが、「マリーゴールド」のポイントです。

これは、かつての浜崎あゆみが多用した技法です。

 

  • 時制が、過去形なのか現在進行形なのかわからない

この歌は未来から過去を振りかえっているのか、現在進行形の出来事を描いているのか、解釈がわかれます。

特に、二番のサビに出てくる、「2人の想いが同じでありますように」というフレーズが印象に残ります。

 

もし未来から振りかえっているのであれば、「そうならなかったのが悲しい」と解釈できます

 

もし現在進行形の出来事であれば、「将来こうであって欲しい願望」と解釈できます

 

こうした時世の複雑さは、1962年にデビューしたボブ・ディランと同じです。

 

コード進行といい、歌詞といい、「マリーゴールド」は実は斬新なところはなく、むしろ古典的であることがわかります。

 

そこが逆に、若者には「なんだか新鮮」と思わせ、大人には「なんだか懐かしい」と思わせる理由になっています。

 

 

転じて、ここからは「マリーゴールド」が卓越している点を書きます。

 

  • 歌詞に書き起こして、はじめわかる作者の意図がある

「ふたりの想いが同じでありますように」という一行の歌詞ですら味わい深いものがあります。

「思い」と「想い」は似ていますが、少し意味合いが違います。

 

「思い」とは、頭の中で考えるもの

「想い」とは、心の中でイメージしているもの

 

この歌では「想い」と綴られていることから、主人公たちの気持ちは、頭で考えるものではなく、心のつながりのような、情緒的なものだとわかります。

 

意外にもあいみょんの歌詞はどの曲も日本語の文法を厳守していることを考慮すると、たったこの一語にすら意味を持たせていても不思議はありません。

 

  • 花言葉

マリーゴールドの花言葉は、「悲しみ」「変わらぬ愛」の2つがあります。

19世紀にフランスで完成した西洋花言葉の類いにもれず、ギリシャ神話から生まれたものです。

さだまさしが、「秋桜」で花言葉をメタファーに使ったのと似ています。

 

  • 時制と花言葉が連動している

もし「悲しみ」という文脈で読むなら、この歌は未来から過去を振りかえった悲しい歌になります。

 

一方で、「変わらぬ愛」という文脈で読むなら、この歌は現在進行形で未来への希望を託した歌になります。

 

また、マリーゴールドは西洋花言葉のご多分にもれず、色によって意味が異なります。

黄色のマリーゴールドは「健康」オレンジのマリーゴールドは「予言」です。

 

このような花言葉の違いは、聖母マリア(マリーゴールドの花の由来)を象徴するキリスト教を起源とするか、ギリシャ神話を起源とするかから、派生しています。

なお、一般的に西洋花言葉では、黄色は嫉妬を象徴するネガティブな色であることを付記しておきます。

 

この歌で描かれたマリーゴールドが何色なのかを、あいみょんが明記していない以上、聞き手が想像するしかありません。

映画やアニメであれば、何色なのかが一見してわかりますが、音楽や小説は文章をもとに想像力を働かせる余地があります。

 

  • PVがメタファーになっている

おそらく意図的なものだと思いますが、「マリーゴールド」のPVにはマリーゴールドの花は出てきません。

そして、あいみょんが着ている服はオレンジです。

 

あいみょんがどのような意図でこのPVを作ったのか、視聴者はいかようにでも解釈できます。

 

 

 

一方で、2018年2月18日の武道館ライブでは、あいみょんが着ている服は黄色です。

一曲目は「マリーゴールド」でいくと早い段階であいみょんが決めていたと、ブルーレイのオーディオコメンタリーで本人が語っていることを考慮すると、「マリーゴールド」に合わせて黄色い服装を選んだ可能性があるというわけです。

 

このライブの後半戦はジョン・レノンの最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』のTシャツを着ていることから、前半戦の黄色い服装は「マリーゴールド」を意識した衣装選びをしていると察します。

 

 

蛇足ですが、「どうせ死ぬなら」の歌詞ではジョン・レノンが登場しますし、初めて弾き語りをしたのは尾崎豊、影響を受けたアーティストはスピッツという感じで、あいみょんは先人の曲や歌詞を、自分なりに換骨奪胎し、さらに自分の世界観に昇華させています。

 

 

いかがでしたか?

音楽は多様なものであり、よい作り手は、メロディーや表面的な歌詞だけでなく、色々な楽しさを聞き手に提供してくれるものです。

 

本当のことは、偉大な文学作品と同様、作者にしかわからないのです。

 

詩がわかる人も、音楽がわかる人も、どんな観点でも、音楽に絶対的な正解はないと私は思います。

 

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(昨年、玄関に飾っていたマリーゴールドです。黄色のマリーゴールドでよかったのかどうかは、あいみょん本人しかわかりません)