母は、16年前に
亡くなりましたが、
本当に厳しい母親でした。




とにかく
完璧主義で
潔癖
なんでもかんでも、
100%でなきゃ
許されませんでした。





掃除は一日に朝夜2回。






癌を患ってからは
ホルモンバランスが崩れ
体調が良くない日も多く、
とにかく
掃除の手伝いは
かなりさせられていた覚えが
あります。





家の中では、
母親の言うことが一番。





私に対する期待も大きすぎて。
目指していた
県内一番の公立高校には受からず
滑り止めで受けていた私立高校
には合格したものの、
母親の思い通りの結果では
なかったため、
入学式には
来てくれませんでした。




父が会社を休んで
入学式に出席してくれたのを
覚えていますウシシ











小さい頃から
とにかく
母親が厳しかったため、
母親に気に入ってもらえるよう、
母親に褒めてもらえるよう、
それだけを考えて生きてました。





外に出たときも、
どこに叱られる地雷があるか
わかりません。

人前では叱らない母でした。
人前で母の物差しで
いけないことをしたときは
一瞬で顔が変わります。


そして、
家に帰ってから
とことん叱られます。


なぜ叱られているのか、
反省文を書かされることも
しばしば。



大概はベランダへ、
ときには、
裸足のまんま
玄関の外へ閉めだされることも。







小学校卒業式のときに
自分の夢をマイクの前で発表してから
卒業証書をいただきにいく
という伝統?
のあった小学校。




私は
スチュワーデスになりたいと
母に言ったところ、
ダメ出しされ、
結局、
「世界をまたにかける
演奏家になりたいです」
とされてしまったわけで。







私の過去を振り返ると、
結局、
何一つ私のやりたいように
生きてないんです。






私がやりたいこと、
は、ことごとく否定され、
夢が母親によって塗り替えられていく。







さらには、
大学受験時、
医療系にいきたかった私でしたが、
ことごとく反対され、
母が末期ガンになったこともあり、
母の希望であった
演奏家への道を
目指すことになったのでした。





大学では
やっと国立の第一希望に合格し
母も大喜び。
やっとこさ認められた瞬間では
ありました。









しかし、
次第に、
どうせ認められない、
やりたいことがない私
が出来上がってしまったようです。



今なお、
やりたいことが
よくわからなくって。





もちろん、
演奏家になって良かったことは
山のようにあります。






でも、
今になって、
やりたいことは他にもっと
あるんじゃないかって
気もしているんです。





母親が死んでもなお、
その呪縛から
解けられていない私。





この呪縛を解かなければ、
私が母親から受けてきた洗礼を
息子にも施してしまうことに
なりかねない。






それだけは避けなければプンプン






そう感じています。。。



















シングルマザーランキングへ