アルルでゴッホを追いかける〜御仏(おフランス)旅行記その6 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp



🇫🇷フランス旅行の記事です
一度アップした内容なのですが、アップ後ほんの数分で消してしまいましたえーん
そのため心がポッキリ折れましたが、立ち直り、なんとかもう一度書き直しましたショボーン
そのため、初めの記事と少し内容が違っていると思います

ブログで旅行記として纏めることで、記憶を整理して記録に残しておこうと思っていますが、楽しくもあり、なかなかしんどくもあります…キョロキョロ
よろしかったら、お読みください🇫🇷

今回は、アルル地方でゴッホの作品を追いかける内容です


申し遅れましたが、この旅行は、私と娘がJTBのフランス縦断のパック旅行に参加したものです

羽田空港からミュンヘン経由でニースに入り、そこからアルル地方を通り、北上してロアール地方、モンサンミッシェル、パリへと行くツアーです


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ゴッホの絵の中で好きなのは?と聞かれたら、この絵は好きな絵の一枚としてあげると思います

「夜のカフェテラス」
(クレラー・ミュラー美術館所蔵)
この絵の題材となった場所は、アルルにあります
今日の記事の後半に出てきます



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では、書き直し記事始めます!


この日は朝まだ明けやらぬうちに起き、ホテルを出ました
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アルル地方の一日です


アルル地方は地図でみてもわかるように南フランスにあるので、当然少しは暖かいと思っていましたが、旅行の全日程の中で一番寒かった〜ガーン


アルルから地中海までは30キロ
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ここには、アルプスから吹き下ろすミストラルという風が、ローヌ川に沿って一年中降りてくるのです
そのため、冬の快晴の日などはとても寒いんだそう

ゴッホはここで多くの絵を残しています

フィンセント・ファン・ゴッホ




ゴッホは1853年(日本ではペリー来航の年!)、オランダに生まれました
オランダ時代のゴッホは、仕事をしたり、勉強したりいろいろありましたが(すべてうまくいかなくて)、最終的に画家を目指すことになります

1886年、ゴッホはパリで画商をしていた弟テオを頼り、パリに移ります
パリでのゴッホは、印象派や新印象派の影響を受け、明るい画風の絵を描いています
この頃の日本は幕末でしたが、ゴッホのおじが船乗りだったために、日本の浮世絵に接する機会があり、浮世絵から大きな影響を受けました(聞いた話で未確認ですが、浮世絵の試し刷りなどが荷物の梱包材や緩衝材に使われ、ゴッホはそれを目にする機会があったということです)

しかし、オランダもパリも基本的には天気が悪くどんよりした日が多いためショボーン、ゴッホは1888年に今度はパリを脱出し南仏の明るい空を求めて電車でアルル地方に来ました(アルルは寒いのになぁ…)

ゴッホがアルルに到着した日は2月20日だそうで、この日のアルル地方では普段滅多に降らない雪が60センチも積もったそうです
…せっかく、南仏の明るい空を求めて来たのに、寒い上に珍しい雪に見舞われるなんて、ゴッホって「持ってない男」、しかも雨男ならぬ雪男ですね

ゴッホは翌月3月には「アルルの跳ね橋」の絵を描いています


星そこでまずは、ゴッホの
「アルルの跳ね橋」を見に行きました

↓こちらです💁‍♀️
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朝の淡い光の中の「跳ね橋」です

この橋の近くには、ゴッホの絵の案内板が設置されていて、この橋が題材になったことを教えてくれています(ただしフランス語なので全然読めません)
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ゴッホは跳ね橋の絵を何枚も描いています
(パリ 個人蔵)

(クレラーミュラー美術館蔵)


↓この絵では、橋の上に女の人がいます
(ヴァルラフリヒャリツ美術館蔵)

「おー、なるほどー」と思いがちですが、現在設置されている跳ね橋は、当時の現物ではなく観光用に他の橋を移設したものだそうですよ

実際の橋は、所有者の名前をとってラングロワ橋という名称だったそうです




…個人的な思い出話で恐縮ですが、「跳ね橋」というと思い出す橋があります
それは、アメリカコネチカット州ミスティックという街にあった跳ね橋です
ミスティックという街は、ニューヨークからボストン方面に行く時に通り過ぎる街です
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観光客が特別に立ち寄るほどの街ではないのですが、高速道路で町を通り過ぎるたびに寄りたい衝動に駆られ、一度降りて泊まったことがありました
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漁港の町ですが町並みは美しく、古い跳ね橋(上の写真のDraw Bridgeとあるところ)が時々跳ね上がり漁船を通していました
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(小さい子どもを2人抱えた頃の旅行のため写真がないので、この写真はお借りしました)
漁港の名前はMystic Seaport…この名前の語感が先ず気に入り、観光地化されていない「郊外の小さな町」の佇まいも好きでした




…と、フランスのアルルに話を戻します
(脱線失礼しました)


跳ね橋をあとにして、バスにのります

バスを降り、街中を歩く途中にあった開店前のお店
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石造りの外観のせいか、寒々とした光景でした


続いて訪れたのはこちらの公園
名前は「夏の公園」(夏じゃないけど)
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ここにはゴッホの首から上の彫刻がありました
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やだ〜、コワイ!



この公園は、ゴッホの「公園の入り口」という絵の題材となった場所です
↓案内板
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ゴッホ
「公園の入り口」
(ワシントンD.C.、フィリップスコレクション)

↓ベンチの向こうあたりから見上げた風景だそう
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見上げると↓こんな風景になります(ヒヨコ失礼します)
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見上げた先には、古代劇場が見えます
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「夏の公園」に隣接してローマ時代の古代劇場、ローマ遺跡があるのです
その方向に歩いていきます
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ローマ時代の遺跡の詳細については↓こちらをご覧ください
フランス観光開発機構 アルルの円形闘技場と古代劇場


古代劇場
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この柱はコリント様式だそうで、3本のうち2本が現存しているそうです


観客席(?)の下から七段が昔のままだそう↓
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円形闘技場
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今は石の遺跡が残り、闘牛やコンサートなどで使われるそうですが、古代ローマ時代には奴隷同士が剣で闘ったりしたそうです(流血の大惨事だったろうに、それを観衆は見たのかしらガーン)

古代の遺跡などでこのような「血の匂い」のする、残酷としか思えない歴史に出会うと戸惑いを禁じ得ません…一体何故、人間にはこんな残酷な面があるのでしょう

昔訪れたメキシコのカンクン遺跡などは、今でも「血の匂い」が漂う気がしました
遺跡の中にある池などは、今でも血で真っ赤なのでは?と思えたほど流血の歴史のある遺跡でした

古代ではありませんが、京都の耳塚にも血の匂いを感じます
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ニンゲン、どれだけ平和を叫んでとりすましても、いえ、平和を叫べば叫ぶほどその反作用として残忍性が頭をもたげてくる生き物なのかもしれません
血の匂いの記憶が残る遺跡は、ニンゲンの残酷な一面の正直な記録であるとも思えます
おそろしいことです


アルルのこの闘技場は、5世紀ごろには、北から来たサラセン人から逃れるために、ローマ人の住居として使われたこともあるそうです↓
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カタツムリ状に中に家を建てている


そして、この闘技場のあたりの風景をゴッホは絵にしています
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案内板です
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ゴッホ
「アルルの競技場の観衆」
ゴッホは、競技場で行われている闘牛に関心はなく観衆を描いています
でもなんか変…だって、観衆の顔が緑色だったり、のっぺらぼうだったり…こわいわ〜


私たちが遺跡にいる時に、朝陽がさしてきました(どんだけ早起き!)
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さて、次は遺跡を後にして、西方向に歩いて移動します
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モナコやニースの街とはまた違う雰囲気の町並みです
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カラフルではないよね…石ってかんじ…

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板の戸をつけているのは、夏の暑さ対策なんですって
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壁の落書きがオシャレです
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さて、フォリュム広場に着きましたが
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この広場には、この記事の一番上に貼った、あの有名な絵のカフェがあります

カフェ ヴァン・ゴッホ
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案内板
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営業していませんでしたが、黄色い壁が目立っていました


しかしながら、ゴッホが題材とした当初はこの壁は黄色ではなく、ランタンの黄色の光が壁に反射する様子をゴッホは描いたんだそうです
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そう思って改めて見ると、ジャビーな外観かもしれません
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このお店は、ゴッホ人気にあやかり、ちょっと強気の高値設定らしいですよ

なにはともあれこの絵は素敵♪
ゴッホ
「夜のカフェテラス」
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よく見ると、星がお花🌼なんです…ステキ!




広場の建物には、別の建物がめり込んでいます↓
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めり込んだ石の建物は、ローマ時代の神殿だそうです
神殿は今より10メートルも低いところにあったんですって!


そして、市役所
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市役所の建物の中をスルーします
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反対側に出ると、
サン・トロフィーム教会がありました
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扉の上に天使とキリスト…与願施無畏印っぽいぞえーいや、降魔印か(そんなハズはない)
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向かって右には、鎖で繋がれた人々(地獄行きか?)
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反対側には、天国行きの人々(かな?)
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市役所と教会のあるこの広場は
レピュブリック広場です
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真ん中に建てられたオベリスクは、てっぺんが平らに切り取られてしまい、補修されています
このオベリスク、畑の中からちょうど椅子の高さくらいニョッキリ突き出ていたために、農民がてっぺんをちょん切って椅子にして座っていたんですって…オベリスクとわかったら農民も驚いたでしょうね


広場を出てレピュブリック通りを歩きます
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ほんとフランス人って、道に隙間があればテーブル広げるんだね



これ、赤ちゃんの「おくるみ」らしいですよ↓
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この袋に赤ちゃん入れて、ベビーカーに乗せれば寒くないわけね


レピュブリック通りから、プレジダン・ヴィルソン通りに曲がってすぐ右手の方向に、
カルチャーセンターの入り口が出てきます
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カルチャーセンターの入り口をを通り抜けると

エスパス・ヴァン・ゴッホに到着です
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ここはゴッホの「アルルの病院の庭」の題材となった場所です

案内板
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ゴッホ
「アルルの病院の庭」
(オスカー・ラインハルト・コレクション)


雪の日にアルルに到着したゴッホですが、アルルの地の本来の明るさを気に入り、日本のようだと思ったようです(思い込みってやつですね)

ゴッホは人付き合いが苦手なタイプの人だったようですが、アルルに来てからは、ドガ、モネ、ルノワールなどの画家たちとここで共同組合を作ることを夢見たようです(空想です)

しかし、現実にアルルに来た画家はゴーギャンだけでした
ゴッホとゴーギャンの二人は始めは仲良く創作活動を行ったようですが、そもそも二人の芸術の方向性が違い、それにおそらくどちらも芸術家の偏屈さもあったのか、次第に仲違いするようになってしまったようです

やがて、ゴーギャンはアルルを去り、気が狂ったのかゴッホは自分の耳をカミソリで切り落とし、付き合いのあった娼婦に送るという、身の毛もよだつ奇行を行ってしまいます(上の方で耳塚の写真を載せたのが、はからずも伏線になってしまったびっくり)

ゴッホはこの事件の後に病院に入院しました
退院後、この病院の中庭を描いたのが、この「アルルの病院の中庭」の絵です

この耳切り事件は当時、センセーショナルな事件となり、周囲からはゴッホを精神病院に収容させるよう嘆願書が出されました



ゴッホ
「耳を切った自画像」(ロンドン、コートールドギャラリー)
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ゴッホは、この事件ののち、サンレミにある修道院の療養所に入所します

そこでゴッホは発作と闘いながらも多くの絵を残しました

不安定な精神状態は、画家本人には苦しいものであったと思いますが、彼の遺した沢山の絵は他に替わるもののない力を持って私たちに訴え続けています

岡本太郎は「芸術は爆発だ」と言いましたが、
ゴッホにとって、そしてゴーギャンにとっても、芸術とは苦しいものだったのではないでしょうか
(飛行機の中で、今上映中のゴーギャンのタヒチ時代を描いた映画を観ましたが、貧困に追われるゴーギャンの姿は哀れでした)




この庭には、お土産屋さんがしっかりありました
時間がなかったので、テキトーに絵葉書を買いましたよ
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やっと、アルルの記事のリベンジができました
(ノ´▽`)ノ

次の記事に続きます〜この後、ポンデガールという、南禅寺のインクラインをでっかくしたような古代ローマ人の遺跡に行った記事です(まだまだ午前中)




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ところで、アルルといえばやっぱり
「アルルの女」!

その中でも、メヌエットのフルートの音色は癒し効果抜群です!