オウム真理教の犯罪が一区切りしました。私は思う所がいろいろあります。息子が中学生の時に地下鉄サリン事件がありました。当時、彼は我孫子から西日暮里まで千代田線で通っていました。千代田線の電車に乗り、何もなく学校へ行ったようです。学校で事件を知ったようです。一つ間違えていたら、被害者になりかねなかった事件でした。
当時叔父は東大の医学部、難事件の鑑定をしていた法医学の教授でした。サリン被害の症例は日本に資料がなく、旧ソ連のロシア語の研究資料を読んだそうです。サリン事件の被告裁判の鑑定は大変だったようです。被害者を救済するための賠償に関する証言や論文に事例がなく、なお大変。心に従い、証言したそうです。
若い時から解剖経験なら日本一だと豪語していました。右も左も街宣車が来る有名人の変わり者。親戚で仲良くしているのは一部。その一人が変わり者の私でした。彼曰く、脳幹の障害はMRIで見つからないほどの微かな傷でも、酷い認知症をすぐに発生するそうです。遺体解剖でしか、その傷は見えないそうです。短い脳震盪ですら脳は傷ついている可能性があり、認知症の発生の可能性を高めるため、危ないそうです。
サリンの被害者の遺体を実際に解剖したそうです。脳幹や延髄がドロドロになっていたそうです。見たことがない、酷い状態だったそうです。即死に近い状況では脳が水のようになっていたそうです。実際に起きたことです。目に障碍が少し発生した、軽く見えた被害者はたくさんいたようです。軽い人は数か月で回復したそうです。
彼らは損害保険に入っていても、将来認知症などの障碍が発生しても、賠償請求を認められない可能性があると、叔父は考えたそうです。今までの自動車事故の保険金請求裁判の判例からです。
そこで彼は、サリン被害の軽い症状の人も、歳をとるにつれ、障害になりえるから、少しでも違和感の有った人は障害者になりえる、障害保険を支払うべきとの立場で鑑定したそうです。数年前に会った時、誇れる鑑定だったと言っていました。
今の法務大臣は岸田派の安倍好みの、上昇志向の強い女性です。色々な意見がネットやテレビであります。年号の変わる前に死刑を実行したかったなどなど。私は彼女やオウムについて意見はなく、彼女も好きなタイプではありません。
でも、彼女が、今も後遺症に悩む被害者について一言だけですが、言及したニュースを見て、見直した次第です。本心からの一言なら、期待できる大臣かもしれません。安倍好みのタイプが心配ですが。
当時叔父は東大の医学部、難事件の鑑定をしていた法医学の教授でした。サリン被害の症例は日本に資料がなく、旧ソ連のロシア語の研究資料を読んだそうです。サリン事件の被告裁判の鑑定は大変だったようです。被害者を救済するための賠償に関する証言や論文に事例がなく、なお大変。心に従い、証言したそうです。
若い時から解剖経験なら日本一だと豪語していました。右も左も街宣車が来る有名人の変わり者。親戚で仲良くしているのは一部。その一人が変わり者の私でした。彼曰く、脳幹の障害はMRIで見つからないほどの微かな傷でも、酷い認知症をすぐに発生するそうです。遺体解剖でしか、その傷は見えないそうです。短い脳震盪ですら脳は傷ついている可能性があり、認知症の発生の可能性を高めるため、危ないそうです。
サリンの被害者の遺体を実際に解剖したそうです。脳幹や延髄がドロドロになっていたそうです。見たことがない、酷い状態だったそうです。即死に近い状況では脳が水のようになっていたそうです。実際に起きたことです。目に障碍が少し発生した、軽く見えた被害者はたくさんいたようです。軽い人は数か月で回復したそうです。
彼らは損害保険に入っていても、将来認知症などの障碍が発生しても、賠償請求を認められない可能性があると、叔父は考えたそうです。今までの自動車事故の保険金請求裁判の判例からです。
そこで彼は、サリン被害の軽い症状の人も、歳をとるにつれ、障害になりえるから、少しでも違和感の有った人は障害者になりえる、障害保険を支払うべきとの立場で鑑定したそうです。数年前に会った時、誇れる鑑定だったと言っていました。
今の法務大臣は岸田派の安倍好みの、上昇志向の強い女性です。色々な意見がネットやテレビであります。年号の変わる前に死刑を実行したかったなどなど。私は彼女やオウムについて意見はなく、彼女も好きなタイプではありません。
でも、彼女が、今も後遺症に悩む被害者について一言だけですが、言及したニュースを見て、見直した次第です。本心からの一言なら、期待できる大臣かもしれません。安倍好みのタイプが心配ですが。
サリンの被害に遭われた方の脳幹や延髄がドロドロに溶けていたというのは生々しい証言です。
サリンという神経ガスというのはそんなに恐ろしい効果のあるものだったのですね。
サリンを大量に製造して何トンも東京の空からばらまく予定でいたのですから、ぞっとします。
DNA鑑定に利用していた検査方法に電気泳動法やサザンブロット法、PCR法などが書かれていましたが、SRLに勤務していた1980年代後半に各検査室で実施していたものばかりです。
科学鑑定のために新しい検査法を調べ、それらの技術を次々に身につけ利用する。納得いくまでとことんやるところがすごい、仕事の鬼です。
この本を彼は走り書きしたそうです。この程度なら2週間で1冊仕上げられると言っていました。でももう本を書くのは飽きたと言っています。
本屋に並べる本ならいくらでも、その程度に書けるそうです。
50年以上前の、法医学ノートは今でも慈恵の教科書だと最近知りました。彼の原点の知識経験なのでしょう。
でも、馬鹿に理解させる鑑定資料を書くのは大変だそうです。資料の論旨を作るだけで1か月文章を書いています。
仮にできた説明の論旨を私に説明し、高校の教科書の用語と理論だけで説明するのが大変だそうです。
化学も物理も数学も高校レベルで言わないと、弁護士や判事や検事は分からないそう。だからまだ死ねないと、頭だけはとても元気です。
3連鉄でする時もあるようです。モデル化が一番難しいようです。モデル創りのために1時間かけ、家の傍の喫茶店まで来ます。