大泉の人口が40年間増え続けているのは? | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(7月14日午前6時 気温26度)

 

 北杜市が7月1日に発表した北杜市各町の人口を見ると、我が大泉の人口が増えている。他の町は

どうか、HPで確認できる範囲で各町の人口推移をまとめてみた。

 

 
 意外なことに大泉だけがこの8年半で人口が増えている。とはいえ、それとて300人程度で、市全体としては2,000人ほどの人口減だ。
 
 下の地図は「山梨県常住人口調査」からの転載である。調査期間内で人口が増えた市町村は、甲斐市、昭和町、富士河口湖町、山中湖村のわずか4市町村で、我が北杜市は微減となっている。
 増減の要因を自然増減(出生と死亡)と社会増減(移転)に分解したものが下図である。 
 北杜市は、自然減がやや深刻な一方、社会増減は河口湖、山中湖などとともにプラスになっている。
 つまり、北杜市全体としては大泉を中心に社会増(=移住)は進行しているものの、少子高齢化の影響をカバーするまでには至っていない、ということだ。 小淵沢発早朝通勤特急の導入が急がれるところである。
 
 それにしても、小淵沢の人口が減っているというのは意外である。
 乗馬とアウトレットのセレブの町小淵沢。
 北杜市で唯一特急の止まる小淵沢。
 八ヶ岳の玄関口小淵沢。
「麦と卵の町」や、ソフトクリームベロベロ、とは格が違います(きっぱり)。
 
 大泉と小淵沢の歴史は、1889年7月、時の明治政府が山梨県に1市245村を設置したことに由来する。このとき北巨摩郡大泉村、同小淵沢村として仲良くスタートした。
 
 小淵沢村は、その後北巨摩郡のトップをきって1954年に小淵沢町に昇格した。
 当時の同町人口は6,000人程度であったが、1980年に4,846人にまで減った。やがてバブルの波で別荘ブームが始まったのであろう、1985年には5,007人に回復、その後毎年増え続け、2004年に6,272人となってピークを迎えた。これ以降は今にいたるまで微減が続いている。 
 これは推測であるが、バブルの崩壊に加え、1980年代に移住した第一世代の方々が亡くなられたり都会に再移住されたりしたことによるのであろう。
 
 一方大泉であるが、2004年に北杜市となるまで115年間も村のままだったわけであるから、あまり発展してきたわけではない。人口も少しずつ減って1976年には3,260人まで落ち込んだのだが、これをボトムとして、それ以降なんと40年間連続して人口増が続いているのである。
 
 観光以外にこれという産業はない。観光名所も町内に限れば「まきば公園」位だ。
 交通の便がいいわけでもない(ちなみに甲斐大泉駅の1日平均乗客数は59人だ(2016年))。
 原村のように老人医療費無料化、などの施策を打ったわけでもない。 
 「パンの力」がそれほど強力とも思えない。
 小学校、中学校は町に1校ずつ。医者は2軒のみ(この前まで1軒だ)。動物病院も同じく2軒。
 
 それでも大泉の人口が増え続けるというのは、
「トータルで住み心地がよい町」、
という評価が定着しているからに違いない。かくいう私もその魅力に惹かれた一人である。
 
 町の魅力を高めるのは、県や市の力だけでなく、「住民力」に負うところも大きいと思う。
 先輩住民の皆様のご努力に敬意を表し、今後も旧住民、新住民、別荘族の区別なく、さらに住み心地のよい町を作っていく努力を続けたいものだ。
 
 ゆる~く、ふわ~ とした町作り。私も微力ながらがんばろう。
 

 

       

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