サラリーマン急ぎメシ④神田須田町「勝漫」で20年ぶり大かつ丼 | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 ちょうど20年前、私はお茶の水のオフィス勤務となったが、そこで出くわしたのが「ヒルメシ番長」こと、某次長であった。

 この番長とは叔父、甥の関係(=直属の上下でなく、隣同士の部で役職が違う)というサラリーマンが最も気楽につきあえる関係であったうえに、無類の大食漢という共通項があったことから、毎日のようにヒルメシに誘っていただいた。

 神楽坂「大〆(大阪寿司)」、同「志な乃(蕎麦屋だが鍋焼きうどんを食う)」、赤坂「はやし(日本一の親子丼)」、神保町「揚子江菜館」等々、中でも印象深いのが、神田須田町「勝漫」である。その旨さは筆舌に尽くしがたく、私の精神と胃袋に深い感銘を与えたのだ。

 

 11時を回ったころ、番長が巨躯を揺らして近づいてくる。

「ふふ。行っちゃう?カツマン。連チャンで。」

 二つ返事の私は番長と11:30ビルのロビーで待ち合わせ、片道20分かけてノシノシと勝漫へ。

 名物「大かつ丼」も食いたいし、ロースカツも捨てがたい、迷っていると番長がささやく。

「ふふ。カツ、半分こしようか?オレ出すから」

 大かつ丼を平らげ、ロースカツも食うと腹がはちきれそうだ。すると番長がまたささやく。

「ふふ。タクシーで帰ろうよ。オレ出すから」

 番長の実家は茨城だか栃木だかの地主で、給料は小遣い、という噂の人物であった。まさに私のB級グルメの師だったのである。

 

 その後番長とのおつきあいはなくなってしまったが、2007年、勝漫にお家騒動が勃発、揚げ方が独立して近所に「やまいち」というとんかつ屋をオープンした、という噂を耳にした。

 

 サラリーマン人生も残り7か月ちょっと、食い意地の原点「勝漫」を20年ぶりに訪れることにした。

 小川町交差点から2つほど南の路地を入ると、昔と同じ勝漫だ。場所の記憶は曖昧だったが、胃袋がしっかり覚えていてくれた。記憶したり、消化したり、胃袋も大変だ。

 

 店内の様子はパッと見、昔と変わっていない。メニューも同じ。せまい店なのに店員が6人もいるのが異様である(かつては二人で切り盛りしていた)。迷わず「大かつ丼」を注文した。

(大かつ丼1,700円 カツの量も盛り付けも変わっていない)
 
 味は昔と変わっていないように思えるが、こっちは変わってしまった。恥ずかしながらご飯を少し残す。あわよくば「やまいち」のかつ丼も食って味比べ、などと考えていたが、身の程知らずもいいところだ。
(店の向かいは「東京蒟蒻会館」という謎の建物が往時のまま。一階は小じゃれたバルになっていた)
 
 100メートルも離れていないところに「やまいち」が店を構えていた。独立した揚げ方さんも亡くなって、今は昼だけの営業、と何かで見たが、真偽はわからない。
(食べログスコア3.82  勝漫は3.58)
 
 腹がはちきれそうなので、JRお茶の水駅まで散策だ。靖国通りに出ると、そこは蕎麦「まつや」。ひっきりなしに客が出入りしている。
 汚い造作で健気に蕎麦を打って、という印象だが、もりはしっかり650円取るし、吉祥寺やらそこいらに
支店は出すし、通販も手掛けている。おそらく土地の権利関係で建て替えができないのだろう。
(もり650円 室町砂場600円、藪は670円 ゆで太郎320円)
 
 神田「藪そば」。火事出してヒョウタンから駒、立派な店構えに生まれ変わった。
 そういえば番長は決して蕎麦屋には行かなかった。理由は、「大した食いもんでもないくせに、法外に高い」からである。
 
 まつやと藪の中間地点の立ち食いソバ屋。お客さんが屋外で文字通り立ち食いしている。これが蕎麦屋の原点でしょう。
 神田三崎町「とうがらし」を凌駕する立ち食いソバ屋があるとは思えないが、いちおう「食べにくるリスト」へ。
(写真右下のお客さん二人組は順番待ちではなく、路上で蕎麦を食っている)
 
 次回は「やまいち」のかつ丼だ。
 勝漫の大かつ丼の味を忘れてしまいそうだが、少し涼しくなってからでないと完食の自信がない。
 自分の歳を思い知らされた一日であった。