「日本国民」と「外国人」という既成の区分は時代遅れでは? | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

 

 「希望の党」の政策協定書(公認を受けるにあたっての誓約書)が、奴隷契約だなんだ、と物議をかもしている。

 

(モナ男「影、薄いっす」)   小池さん「排除します!」  若狭さん「もう黙って書記に徹しようっと!」)

 

 どれどれ、と全10項目の中身を見てみると、

 「寛容な改革保守政党を目指す(第1項)」、

 「憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること(第4項)」

など、立党の理念というようなものから、

 「党に資金提供をすること(第9項)」、

 「選挙期間が終了するまで、希望の党が選挙協力の協定を交わしている政党への批判は一切行わないこと(第10項)」

などという単なる事務連絡のようなものまで、玉石混交だ。

 

「そういうけどさ、もう疲れたよ。オレ還暦だし、TVには出るなって言われたし。」

 

 そんな協定書で目をひくのが、

外国人に対する地方参政権の付与に反対すること(第6項)」

である。

 

 これは旧民主党、民進党が熱心に推進していたものだから踏み絵効果がある、ということなのだろうが、これ自体は国民的な議論になる重要な課題とは到底思えない。

 

 そもそも「外国人」とは何だろう。また対立概念は当然「日本人」だが、権利義務の発生主体として考えると(日本語をしゃべるとか、先祖の墓があるとかでなく)これもどうもボンヤリしているので調べてみた。

 

 まず、日本人(日本国民)である。憲法には日本国民の要件は法律に定める、とある。

 そこで国籍法を見ると、明文規定はないが法理上「日本国民=日本国籍を有する者」ということらしい。
 日本国民から生まれた子、日本で生まれ父母が分からない子(捨て子?)、帰化申請が認められた者などが日本国民となる。白鵬も帰化が認められればその時点から日本国民だ。

 

 一方「外国人」は、国籍法の及ぶ範囲、つまり日本の領土内にいる「日本国民でない者=日本国籍を保有しないもの」と規定されており、一時的に日本に滞在する観光客を除くと、その数は238万人である(2016年12月値)。

(「特別永住者」とは戦前から日本に在住していた朝鮮人・台湾人 「技能実習者」は要するに出稼ぎ労働者 「定住者」は3年、5年単位の有期在留許可があり、都度更新が必要な者)

 

 留学生、技能実習者を除いた164万人のうち、永住者、定住者、配偶者は就労に関して制限はないので、働いて納税もきちんとしている人も多いだろう。教師などの専門職26万人は間違いなく納税者だ。

 また、日本に住む20歳以上の人間は日本国籍の有無にかかわらず国民年金保険料を支払わなければならないので、彼らには等しく保険料納付義務がある。国民健康保険料についても同様だ。

 
 1773年、イギリスの重税に反発したボストン市民がイギリス商船の積み荷を海に投げ捨てた。米国独立戦争の有名なエピソード「ボストン茶会事件」である。
 
(アメリカインディアンに変装して茶箱を投棄する市民  
 話は飛ぶが、このせいで濡れ衣を着せられひどい目にあったインディアンが無数にいただろう
「正義を主張する人々の不正義」人種差別とは次元の違う闇がある)
 
 当時の米国市民の主張は、「代表なくして課税なし no taxation without representation 」である。
 
 この点我が国の現状は18世紀のイギリスなみだ。
 すべて、とは言わないが少なくとも納税者たる外国人には当然に参政権が与えられるべきではないだろうか。
 外国人、というと六本木にタムロするナイジェリア人だとか、道路を汚しまくる中国人だとかを連想するので、つい「外国人に参政権?」となるが、よく考えてみると善良な納税者であれば至極当たり前の要求なのである。
 
 ひるがえって我々日本国民は、というと、憲法が保障する基本的人権の恩恵は存分に享受する一方、国民の三大義務のうち「労働」と「納税」はちゃっかり放棄している人も多い。
 
 生活保護受給者は200万世帯、受給総額は2017年度予算ベースで2兆8,803億円、世帯平均月
12万円だ。
 カネがもらえて、家賃がもらえて、医療費はただ、某コミュニケーションサイトに「生ポスレッド(生活保護をネットスラングで「ナマポ」という)」が立って、○○市の審査が甘い、いや××市はほぼ無審査、などの情報が飛び交う体たらくである(もちろんそのような輩は200万のうちごくわずかだ)。
 
  また、全国に判明しているだけで60万人の成年ヒキコモリがいるが、国は彼らに仕事を斡旋することはできても強制することはできない。憲法で「働かない自由」が保障されているからである。
(憲法第18条「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」)
 
 屋根の雪下ろしをしていて転落死したおじいさんや、手が回らずに荒れ果てたままの耕作地が今や埼玉県に匹敵する大きさになった、などのニュースを耳にするたびなんとかならないものかと思ってしまう。
 過疎、というだけの問題ではない。今日(10月6日)の日経によると、全国で127万社(!)の中小企業が後継者不在で廃業に追い込まれそうだという。しかもそのうちの半分は黒字経営だそうだ。
 
 「納税なくして 権利なし no rights without tax paying
 
 戦後72年たった今、そんなことをここらで真剣に考えてみてもいいのではないだろうか。
 
 国籍にかかわらず、日本で働き、日本政府に税金を払っている者には応分の権利を補償する。
 一方国籍がどうであれ、あえて義務を放棄する者(働けるのに働かない、カネがあるのに税金払わない)の権利は一定の制約を受ける、場合によっては国から就業、納税を強制される。
 国籍でなく、国に対する貢献度合いで行使できる権利の濃淡をつける。それが近代市民主義の基本原理ではないだろうか。
 
 自衛隊、一院制、地方分権もいいが、「憲法改正論議を幅広く進める」のであれば、「義務の意図的な放棄に伴う基本的人権の制約」についても議論を期待したいものだ。