中央線4駅考 高円寺の古い喫茶店でトーストを食う | 八ヶ岳ゆるふわ日記

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八ヶ岳南麓大泉と東京を行ったり来たりの毎日。日々のよしなしごとを綴ります。

(前回までのあらすじ)

 年金事務所で精も根も尽き果てた男は、高円寺北口のトンカツ屋へと向かった。

 

 宿鳳山高円寺の参拝もささっと済ませ、目指すは高円寺北口の懐かしいトンカツ屋。名前はハナから覚えていないが、ビルの2階で、最後に行ったのは30年ほど前だ。

 トボトボ歩いていると、私の大好物中の大好物、キーマカレーの店にぶちあたった。キーマカレー専門というのは極めて珍しい業態である。残念ながら開店時間は19:00。

 

(店名がわからない・・・調べてみてもわからない

 「甘口キーマカレーの店」はキャッチじゃなくて、店名なのだろうか)

 

 追憶のトンカツ屋目指して高円寺駅北口に出ておったまげた。

 ロータリー脇、閉店は時間の問題と思われた高野青果が店舗を拡張し、一大コングロマリットに成長しているではないか。おそらく後を継いだ二代目がやり手なのであろう。

 

 

 (鮮魚や肉まで扱っている)

 

 これはひょっとすると、と思って高野青果の通路(完全に高野青果の通路になっちゃった)を抜けて路地に入ると、ありました。沖縄料理「きよ香」

 

(この路地は建築基準法、消防法により絶対に新築不可のはず)

 

 私は高円寺の街はどちらかというと苦手だ。

 偏見かもしれないが高円寺には音楽や演劇でビッグになろうとしている田舎のあんちゃんがい~っぱいいるように思う。

 中々目が出ず日々の暮らしは苦しい、しかも地元の子じゃないので面が割れる、ということもないからカッとなるとナイフとか出しそうなちょっと剣呑な雰囲気がある。

 

 一方阿佐ヶ谷は街中にペーソスが溢れている。

 老若男女問わず一人飲みの客が多いが、そういう客筋だからぺーソスがにじみ出ているのか、ペーソスが溢れているから自然にそういう人たちが寄ってくるのか、にわかには分からない。おそらく相乗効果、というやつであろう。

 若者も小説家志望とか、芸人志望とかのナイーブな感じ。路地で肩がぶつかってもこっちが謝る前に「あ、すみません」とか目を合わせずに小声で言ってくれそうな人々の街である。

 

 荻窪は年老いたチワワを抱いた老婦人の街。やがてトイプードルを抱いた新世代老婦人にとって代わるだろう。品はいいがどこそこうらぶれていて、ちょっとチープな街だ。

 これが西荻になると様相が変わってフレンチレストランや菓子店が多い老婦人+女子大生の街だが、その一隅に、そこだけ戦後の闇市の匂いがする飲み屋街が時空を超越したかのように存在している。

 

 この4つの街にとって福音は、東に中野、西に吉祥寺があることである。

 この二大歓楽街が結界となっているので、サラリーマン4人組、学生君4~10人組という店や街の雰囲気を甚しく破壊する輩はこっちに出入りしない。そんなこともあいまって、4つの街(特に阿佐ヶ谷、荻窪)はどこか昭和40年代の佇まいを残しているのであろう。

 

 以下私の偏見で中央線4駅の概略をまとめたので、参考にしていただきたい(屁のつっぱりにもなりませんが)。

 

 この辺に興味のある方はいろんな「中央線本」が出ているので、そちらをご覧ください。

(三善里沙子「中央線なヒト」2003小学館文庫)

 

 まあそんな高円寺でも沖縄居酒屋「きよ香」は、なんくるないさ~、ほっとさせるような店で30年前にはたびたび足を運んだのである。

 

 きよ香から北上してトンカツ屋があったと思しき場所に着いたが、影も形もない。

 あれから30年、栄えるもの、消え行くもの、世の栄枯盛衰はとどまることがない。

 思わず茫然としていると、古い喫茶店が目に入った。「トーストセット700円」というのに妙に惹かれる。

 時間は11時過ぎ、ここでトーストとサラダ、ゆで卵、淹れたてのコーヒーで早昼メシとした。本日発売の週刊文春、新潮まで置いてあって、絵にかいたような昔ながらの喫茶店である。 

 

(高円寺茶房 「今日のコーヒー」はマンデリン)

 

 ここ2年で勤務先近くの喫茶店が3軒あいついで閉店した。

 そして孤塁を守っていた水道橋「エストワール」も、2月16日(金)をもって長い歴史に幕をおろすことになった。

 おそらくあと10年もしたら東京の古い喫茶店はすべて消え去るんだろうなあ、週刊新潮を読みながら、ゆで卵の殻をあちこちに散らかしつつそんなことを考えた。