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宮﨑 敏郎(みやざき としろう、1988年12月12日生まれ)さんは、佐賀県唐津市出身の横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(内野手)です。右投右打。
佐賀県立厳木高等学校への在学中には、1年生の春から投手でベンチ登録でした。
2年生の夏から「4番・投手」を務めるとともに、公式戦で通算24本塁打を放ちましたが、春夏を通じて全国大会と縁がありませんでした。
日本文理大学への進学後には、1年生の秋から三塁手のレギュラーに定着しました。
九州大学野球のリーグ戦では、2度の首位打者、3度のMVP、ベストナインを獲得しました。
また、2年生から2年続けて全日本大学野球選手権に出場しました。
3年生の時には、5番打者として、チームのベスト8進出に貢献しました。さらに、4年生の時には主将も務めています。
大学卒業後の2011年にセガサミーへ入社しました。
同社の硬式野球部では、打線で1番や3番を任されるとともに、2年目にはチーム事情か二塁を守りました。
2012年に東京第3代表として出場した第83回都市対抗野球大会では、初戦の日本通運戦において、8回裏に逆転満塁本塁打を打ち、チームに3年振りの勝利をもたらすとともに、勝負強さを印象付けました。
2012年のドラフト会議で、横浜DeNAベイスターズから6巡目で指名を受けて入団しました。背番号は51です。
ちなみに、セガサミーのチームメイトである外野手の赤堀大智さんも、横浜DeNAからの4巡目指名で入団しています
2013年は、春季キャンプ中に左外腹斜筋の肉離れを起こした影響で、開幕一軍入りを逃しました。
しかし、イースタン・リーグでは、公式戦の開幕直後からクリーンアップに定着しました。
4月中旬の公式戦で3試合連続本塁打を記録しました。
5月19日にプロ入り後初の出場選手登録を果たし、翌20日の対オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)8回表に代走として一軍デビューしました。
「日本最北の野球場(旭川スタルヒン球場)で初めて開催されたナイトゲーム」である6月2日の北海道日本ハムファイターズ戦では、「6番・三塁手」として、一軍で初めてのスタメンに起用されました。
この試合では、第1打席の2点適時打によって、一軍での初安打と初打点を記録しました。
8回裏の第4打席では、この年のセントラル・リーグの新人選手では最も早く、一軍での初本塁打を放ちました。
シーズン通算では、一軍公式戦33試合の出場で、2本塁打、5打点、打率.250を記録しました。
三塁手として11試合、二塁手として4試合にスタメン出場しました(いずれも無失策)。
また、61試合に出場したイースタンリーグの公式戦では、7本塁打を放っています。
2014年は、オリックス・バファローズから移籍したアーロム・バルディリスさんや、シーズン途中に入団したユリエスキ・グリエルさんが、いずれも内野のレギュラーに定着しました。
他の日本人内野手が一軍で台頭したこともあって、一軍公式戦への出場は5試合に留まりました。
シーズン初の出場選手登録2日後の4月26日には、二塁手として対阪神タイガース戦(横浜)に出場しました。
9回表無死1塁で大和さんが投前犠打を試みた際に、一塁のベースカバーへ入りましたが、犠打を捕球した山口俊投手が二塁に送球すると思い込んで目をそらしたために、山口さんから一塁への送球が捕れませんでした。
このプレーで一軍初失策を記録すると、内野手出身の中畑清一軍監督から「野球の世界にないボーンヘッド」と酷評されて、出場選手登録からわずか2日で登録を抹消されました。
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