空蝉ノ詩

蝉は鳴く。地上に生きる時間は儚く短い。それでも蝉は生きていると。力の限り鳴き叫ぶ。私も今日、力の限り生きてみようか。

12編 いま こうして生かされていることに感謝しています

2017-06-28 16:57:16 | ひとりごと
吾輩は猫である

余の名前は「屋敷裏太郎」と言います。
余が最初に飼われていたご主人様は誰であったかは思いだしたくもなく、
余の年齢さえもわからないのです。
飽きっぽい飼い主から捨てられた余は、
その日から野良猫となり、
野良猫になった飼い猫ほど可哀想で惨めなものはありません
捨てられた瞬間(とき)から、
余は餌もなく寝る家もありません。
例え餌をみつけたとしてもボス野良猫や野良犬に取られてしまうのが落ちでした。
余が辿り(たどり)着いた処はメガステージ
人口6万人足らずの地方都市にあるスーパーの軒下でありました。
いつの間にか、余の自慢の毛並は泥と糞尿まみれになり、
骨が数えられるほどで煎餅板のように痩せこけ、立つことさえもできなくなりました。
汚く臭く腐り「死神」にとり憑(とりつ)かれ瀕死状態にあった猫を目にしても、
多くの人間様は余を避け素通りしていくだけでした。

しかし、「捨てる神」あれば「拾う神」ありで
そのスーパーへ買い物に来たある婦人(65歳)は余の姿を見ても嫌がらず、
余の傍(そば)に寄りつき憐み悲しみの目で声をかけてくれたのです。
夫人は急いで堀川が流れる川岸の家に戻り夫に相談したのです。
「連れてきたら」という夫の優しい言葉に促され、
夫人はバスタオルを手にし、衰弱した余の体を包み、その足で動物病院に向かい治療してくれたのでした。
獣医から「治療費が高額にかかり、かなり衰弱しており(生命が)もつかどうかもわかりませんよ」。
しかも、余がエイズと診断されても、
新しいご主人様は、戸惑うこともなく吾が子のように自宅に連れ帰り余を看病してくれたのでした
少しずつミルクを与えられ、体力も回復し歩くことができるまでになりました。

余に言葉が話せたら、心優しいご主人様に「ありがとう」の五文字を伝えたい気持ちで一杯です。

あれから3年と5カ月の時間が経ち
(余が心優しいご主人様に生命を助けられたのは平成28年12月8日であり、その日が余の誕生日となりました)、
いまは80坪ほどもある素敵な和風家屋に棲み(すみ)幸せな日々を送り、ご主人様夫婦から大切にされています。
余が“いまこうして生かされていることに感謝”し、
陽が射すときは堀川の辺に咲いている桜を眺めみながら散歩しているのであります。

余のご主人様は、桜が咲く前に肺炎を患い、現在(いま)病院に入院されています。
余は心配であり元気をなくしているところです。
病院へ駆けつけていきたい気持ちです。
できるものなら余の生命を差し出したいくらいです
余は猫であるのでそうもいきません。
余は、夜は主がいないベッドの傍らで、ご主人の帰りを待ちっています。
 


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