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引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

教育・国語教育におけるいくつかの誤解-その4

2017-08-03 17:31:52 | 教育

  
  

  意味段落と形式段落:

 過去に、国語教育クリニックなるブログを開設しておりました.その中の一編を、ここに再録します。

  先日、研究会(自宅での月例会)に、「どちらがなまたまごでしょう」(教育出版 3年生)が持ち込まれた。授業がなかなかスムーズに行かなかったということであった。そこで、教材研究からやり直してみることにした。
  授業では、最初に,意味段落分けをさせたが、これが難渋したという。
  そもそも、「意味段落分け」とは、いかなる意義を持つ行為であろうか。私たちの日常の読みにおいて、意味段落に分けるなどということはしない。しなくても困らない。また、文学の場面分けも,日常的な行為ではなく、しかも支障はない。
  どうやら、精読のための部分を設定するための手続きのようである。むろん、意味段落が、根本的に不要というわけではない。意味段落は、読みの最終段階において把握でき、それによって,文章の構造の特徴が理解できるということになるのであり、通読後に簡単に把握できるようなものではないのである。
  文章全体の意味段落は、直ちに把握できるものでないとするなら、いつもいつも教材文の全体を読みの対象にするしかないのか、あるいは,一読法のように部分の積み重ねしかないのかということになるが、それも問題がある。
  文章には、明らかに、一つの意味のかたまりを有する部分がある。「ここからここまでは、一つのまとまりになっている」という部分である。教材文全体の意味段落は把握できなくとも、文章の中の「まとまりを持つ部分」については把握できることが多い。いつもいつも、「はじめ」「なか」「おわり」という定式を求めて苦労することは賢明とはいえない。「まとまりとして把握出来る部分」を摘出して、結果として、文章全体の構造が分かればよい。教材文を利用しながら、それを実践してみよう。
  「どちらがなまたまごでしょう」は、14段落からなる文章である。これをいきなり、「はじめ」「なか」「おわり」として分析的に把握することは至難のわざであるが、③段落と④~⑩段落、⑪段落と⑫~⑬段落は、「問い-答え」という仕組みを持つまとまりである。このことの理解は、さほど難しいものではない。「問い-答え」は、一年生の時の説明文で学習済みである。この部分が分かれば、③段落から⑬段落までの大半の部分の段落の役割が分かる。敢えて言えば、③から⑩までの部分と、⑪~⑬の部分とが、どのような関係になっているのかが分かれば、本教材の論理構造の重要部分の把握は、ほとんど済んだと言ってもよい。⑩で、いったん答えを出し、⑪~⑬で、その答えの補足説明(解明)をしているのである。残る段落は、①②と⑭であり,これを「まえがき」「あとがき」とすれば、多くの児童も納得がいくであろうし、クイズのような、手探りで非論理的な意味段落分けという難事業から解放されるはずである。
  意味段落分けについてへあ、結論的に、次のようにまとめることができる。
   一読後に,文章の意味段落分をさせるというのは無理な行為である。しかし、文章の中の部分としては、ある種の「まとまり」を持ったものを発見することはできるであろう。把握できる部分の構造をとらえ、また、他の部分との換券をとらえることで、文章の重要部分の論理構造をとらえることが可能なことが多い。結果として,文章全体の論理構造とそのような構造や表現を生み出した筆者の工夫とその達成度及び問題が発見できれば、それで十分であり、これが、私たちにとって、無理のない読みである。


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