それ、問題です!

引退した大学教員(広島・森田信義)のつぶやきの記録

文科大臣のことば

2017-09-03 10:45:16 | 教育

 

 新学期には、児童・生徒の自殺が多いという。休みの間解放されていたのに、また、いやな、鬱陶しい、苦しい空間に、否応なく引き戻されることに耐えられないのであろう。盆休み明けのサラリーマンも似たようなものかもしれない。こちらは、かばってくれる者もいないことが多いから、さらに事態は深刻かもしれない。
 児童・生徒の自殺を思いとどまらせるために、文科大臣がアドバイス、コメントを発ししている。その内容は、下記のようなものだったらしい。
********************************************************************************
  林芳正・文部科学相は1日の会見で、子どもたちに向けて「もし悩み苦しんでいたとしても、決してあなたはひとりぼっちではない。誰にでもいいので悩みを話してほしい。誰かがきっと助けてくれます」と述べ、文科省による24時間対応の電話相談(0120・0・78310)などの利用を呼びかけた。
********************************************************************************
  電話相談の利用への呼びかけは分かるが、前段には疑問がある。
 ①「誰にでもいいので悩みをはなしてほしい。」
 ② 「誰かがきっと助けてくれます。」
 ①について:「誰でもいい」とはいったい「誰」なのか? 例えば、自殺の原因として翌取り上げられるあ「いじめ」について考えてみよう。自分の苦しい胸の内を打ち明けられる人がいない。まさにこのことが子供を追い詰める。心配させまいと親にさえ言わない健気な子供たちが多いのである。また、いじめれている者を体を張って助けようという勇気のある友人も持っていない。受け持ちは親身になってはくれない。いや、場合によっては、いじめに荷担するような存在でさえある.生徒指導担当に相談するなど考えも就かない.結局、自分のことは自分でするしかないという結論に達することになる。この結論を支えるのが②である。
 文科大臣のアドバイスの要旨は、「自分のことは自分でがんばりなさい。」である。子供の側への理解が欠けている。つまりは、悩んでいるなら、以下の電話相談を利用しなさいという事務的な連絡に過ぎない。電話の先にいる人が、どのような人かも分からないところに相談しようとは思わないであろう。 
 教育の総元締めをしているという自負がありそうな文科省のなすべきことは、自殺をするところまで追い詰めるようは学校を無くす工夫であろう。「いやなら学校に行かなくてよい」などというのが学校関係者であってはならない。学校を否定できる部外者の発言である。その発言が共感を得るところに深刻な実態がある。子供に寄り添い、支え合う人間関係を実現できる環境としての学校を作れなくて、何が学校か、何が教育かと疑問に思う。「こんなに安全で平和な学校にしますから、安心して学校に帰ってきて下さい。」というのが監督官庁および、その長のいうべきことばであろう。
 まもなく、教科内容の基準を定める『学習指導要領』が改定される。これはほぼ10年ごとのルーティンであって、内容も貧弱であるが、教育を支える根本理念に疑問がある。(いわば「哲学」がない。)昨今のわが国に広がりつつある人間疎外、生命軽視を解決するための原理に基づく教育の実現に、教員共々全力を尽くして欲しい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿