生者は傷を与え、死者は語らず | 不思議発見!ナース輝美の天国創世記

不思議発見!ナース輝美の天国創世記

横浜鶴見で花 of Lifeの名前でオーラソーマと石よみやってます♪
痛みは光に傷は才能の花を咲かせるよ!
日常でも病床でもナース輝美が闇(病み)も光(可能性)も大事にお手当てします。
ケアを受ける人もケアする人も循環しお互いが助け合う天国を創造中!

 

コザクラインコのちまきが亡くなってからの気づきを少しずつまとめています。

 

①ちまき旅たちの記録

 

②旅立った直後の私とちまき

 

この記録が大切な人を看取った人や看取ったばかりの人の嘆きに

そっと寄り添うことができたらいいなと思います。

 

みっともなく、あがいてあがいて吐くまで泣いても、涙は枯れないものです。

 

それでも、いなくなった後の時間は確実に過ぎていきます。

 

 

 

 

今回は時間の経過とともに、私の中での移り行く変化と気づきを書いていきます。

 

スピリチュアル?目線で少し離れた角度からの話。

 

 

 

 

 

ちまきがまだ体調が悪くなる前に、私は致命傷に触れるワークショップを企画していました。

 

看取るまでは目の前のことで精いっぱいだったのですが、

 

看取った今では、今年の一番の致命傷はちまきが亡くなってしまったことだとはっきり言えます。

 

 

 

 

訪問看護をしていたときに、怖かったことは

 

関係を深く感じてしまった患者様との別れでした。

 

自宅にいって一対一で関わると病棟や施設勤務とは違い、やはり思い入れも深まります。

 

少しづつ、弱っていくのも病状もわかっているけれど見るのがつらい。

 

これは、看護師の立場を外れたところでの素の私の本音。

 

私は家の事情もあり自分の担当患者様を看取る前に退職し、ショックを受けることはなかったのですが

 

家族の死は免れませんでした。

 

 

 

 

 

さて、体感から少しずつ思い出していきます。

 

 

実際に看取ったあとは、頭はぼーっとし、胸からの体の中心の感覚は得体のしれない何かに支配され

 

手足は冷たく、足はぶら下がっているだけ。。。という状態。

 

なんとか持ち直さねば。。と思考を動かそうとしても考えはまとまらず。

 

ただ胸が痛くて定期的に涙はでる。

 

 

最初の変化は、気づいたら涙が出るところから「あ、なんか泣きそう」と気づくまで。

 

気づくようになると反射的に我慢しようとしてしまうので、こらえそうになる自分に

 

「いいよいいんだよ泣いていいんだよ」と声かけてあげて泣きじゃくる。

 

 

 

夜ぐらいには、旦那にちまきはどんな子だったか

一緒に暮らせてどんなに楽しかったかを話したくなり、一生懸命話した。

 

 

 

ちまきの遺体に触れなくなってからは、遺体をみるたびに驚いていたけれど

(視界に入るとビクッとする)

 

旦那とちまきの話をしたら、再び触れたくなってそっと撫でた。

 

 

 

 

眠る前は疲れた。。。と思って吸い込まれるように眠って

 

眠っている間はなんにもなくてラクチンだった。

 

 

 

だんだん朝方になると胸の痛みに気づくようになり、なんで痛いんだ?と

 

考え始め「あ、ちまきがいないんだ」と気づいて目が覚めて泣く。

 

 

 

この朝からしばらく、思い浮かぶのは「これで本当によかったのか」という自問自答が続いた。

 

そのたびに迷ったこと、考えたこと、決めたことを思い出して「これでよかったんだ」と繰り返す。

 

 

 

 

いつも胸や喉のあたりはしょっぱく、泣くために生きているような感覚だった。

 

喉に食事が通っているときは、その異物感にびっくりしてハッとする。

 

泣くための機械になった気分。

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに

 

 

毎日、朝を迎えるたびに朝の胸の痛みが少しづつ余韻になってきているのに気づいた。

 

 

「。。。痛みが古くなってきている」

 

 

 

 

自分の『異変』に気づいた。

 

変化だなんてこのとき思えなかった。

 

 

 

そのほかにも、ちまきとの楽しかったことしか思い浮かばなくなってきていて悲しくなった。

 

 

思い浮かべることが看病していたころのちまきから

 

元気だったころのちまきへ、ちまきとの過去へ。

 

 

 

 

ああ、記憶が思い出になっていっているんだと感じた。

 

 

 

 

泣いている間にも、確実に時がたっている。

 

 

 

 

ちまきを亡くしてからは「癒してもらったほうがいいんじゃないか」といってくれる人もいたけど

 

そんな気にはなれなくて。

 

その意味があの時の私にはわからなかったけれど、今になってわかるのは

 

癒しよりも忘れたくないという気持ち。

 

 

 

 

痛みすらも忘れたくない。

 

 

 

埋葬したあと、気づくのはショックや傷をくれる相手はもういないのだという事実。

 

もう、自分の中で反芻することしかできない。

 

 

 

生きている者しか傷を与えてはくれない。

 

 

 

 

泣いて悲しみを引き留めたい自分とは裏腹に

 

過ぎていく時は事実として「ちまきのいない私の日常」へ溶け流れていく。

 

 

 

 

自分で自分が不思議だった。

 

 

 

 

 

 

長くて申し訳ない!続きます。

次はもうちょっと離れた目線から書きます。

 

 

 

 

 

12月の予定と個人セッションメニュー

 

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12月瞑想とお花アレンジ★ヒーリングWS真っ暗闇闇ワーク
日時:2017年12月17日(日) 16:00 - 19:00
場所:HANAKURA横浜公園前店


今回のテーマは『致命傷に花と光を。。私を抱きしめるワークショップ』!
参加費:  5000円(税別)・
※エコ割りは(400円オフ)前回のアレジメントで使用した器と持ち帰り用袋をご持参ください。申し込みの際にお申し付けください。

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どくしゃになってね…

 


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