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二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●野間記念館「川合玉堂と東京画壇の画家たち展」

2017-12-14 | Art

野間記念館「川合玉堂と東京画壇の画家たち展」

2017年10月28日~12月17日

 

川合玉堂は、(HPより)四季が織りなす日本の自然美を捉え、独自の風景画の境地を切り拓いた、川合玉堂。横山大観、竹内栖鳳と並び近代日本画壇を牽引してきた巨匠の一人です。とあります。

実はこれまで川合玉堂にさほど関心はありませんでした。「日本のふるさとシリーズ」みたいな、ありきたりな気がしていて。

それが実際に見ると、すっかり玉堂に開眼してしまったのです!。

ありきたりどころか、旅するパイオニア。これほど、画像と実物の印象がくつがれされたことはなかったかも。

その勢いで折しも開催中の山種美術館のほうの玉堂展にも行ってしまったほど。

以下、野間記念館で見た順に備忘録です。

玉堂(1873~1957)は、京都で幸野 楳嶺に学ぶ。内国博覧会で橋本雅邦の「龍虎之図」「十六羅漢」に感動し、同年に楳嶺が亡くなると、23歳で上京し、雅邦に入門。日本美術院にも参加し、1915年からは東京美術学校の教授となる。1944年に疎開を機に奥多摩に居住。

川合玉堂「寒庭鳴禽」大正期 一見地味でありきたりな絵のようだけど、目の前にすると、これがたいへんな吸引力だった。

同じ高さの目線で見たときの迫力。目で追うと、弧を描き上昇する生の流れ。それが葉を満たし、葉の先端から生がしたたりでてくるよう(とりわけ下側の二枝!)。鳥の写実も半端でない。

一見そうでもないのに、写実とライブな生命感。一枚目にして、玉堂って「日本の昔話みたいな絵のひとでしょ」という私の浅はかな認識は、消え去った。

 

河合玉堂「鵜飼い」1926(大正15年)

川風まで感じた。鵜飼いたちの生き生き感。鵜にくわえられる魚のピッチピチな活きもわかる!。うす闇の暗さも、目が慣れてきた時の明るさも示している。玉堂の観察眼の細かさと、ためらいない筆でそれを表す実力。

 

川合玉堂「夏山懸瀑」1924年

もらいもののカレンダーにあるような山水。なんだけれども、これが実物がすごい。見れば見るほど、どこの細部を見ても、そこに入り込める完璧な深さ。

いつもはこのような南画風な山水画は下から見ていくのがクセなのだけど、これはなぜだか上から見ていった。ぼんやりとけぶる山。それか下界に降りるにつれ、どんどん見えるもの形がはっきりとしてゆく。玉堂はそれを意識して段階的に描き分けている!。そして踊るような木。水音まで、目だけじゃなく耳で聞こえる気がする。

急流の水の跳ねは、どきどきするほど見事。川の水の色が、透明感や深度まで表している。観察がすごい。

さらに驚いたのが、下に来ると渓流がぐぐっとせり出してくること。3Dの世界。南画風の筆致だけれど、玉堂は西洋画法も取り入れているとのこと。

 

墨の「渓山月夜」1921頃 も、水流がこちらへ迫ってくる、上下と前後の立体感。この絵はとくにお気に入り。

 

 

玉堂の「十二カ月図」1926 は、1月から12月までの12枚の色紙。昔話のような農村や山村の景色。だけれど、当時では現実の日々の暮らしや光景。玉堂はそこにいて、見えるものを切り取った、昔話どころか、玉堂のライブな実感。

なかでも、5月の「田植え」の雨の表現に驚いた。雨を線で描くのは日本的表現だと聞くが、玉堂の雨は、これはなんだろう。雨を線では描いてない。×4の単眼鏡ではよくわからないけど、樹々の葉の描きかたで、雨を可視化している。雨のあの細い、たとえば直径1mmとかの水の線で遮られて見えないはずのところを、樹々から書き残している。筆技の妙技??。うまく言えないのがもどかしい。

 

会場にはほかに、「雨の表現」がいくつか揃えてあった。意図したのかな。

・松岡瑛丘「雨」は、雨を線で薄く描いている。

鏑木清方「五月雨」は、雨は描かない。傘と、着物の裾を手で持ち上げるしぐさで、雨を表していた。

蔦谷龍岬「春雨」1923は、やわらかに墨の線で描いており、まるで(日本的で美しいタイプの)幽霊が迷い込んだような世界だった。

田村彩天「暮春の雨」1921は、ヤマボウシ、フジ、あじさい、、観察に基づく写実よりのやまと絵世界を、少し彩度を落とすことで雨を表現していたような(うろ覚え)。

雨って、いろいろ表現のし甲斐がある。

とにもかくにも、こんなに玉堂にびっくりすることしきりとは、想定外だった。

 

玉堂以外でも、いろいろ浅はかな印象をくつがえされた。

・吉川麗華「箜篌」大正期

古画かやまと絵のようだけれど、その安定した線の美しさ。顔も色調も魅力的だなあと思う。

吉川麗華(1875~1929)をはじめて知ったのだけれど、浮世絵、狩野派、土佐派の他、書や有職故実まで学び、冷泉為恭に惹かれたとか。

麗華の繊細で張りのある描線と典雅な色調は、この時期の多くの作家に刺激を与え、作家仲間では一目置かれた存在であった。麗華が求めた画世界は、やまと絵の源流をたどるもので、模写を重ね、近代に復活させるものであった。大正期の日本画壇でもひとっり孤高の位置を占め、何物にもとらわれない独自の画境を歩み続けた。

 

・山川秀峰「蛍」1929

この女性たち、ほんとうに美人。おてもやんじゃなくて、現代的美人。美人で知られた妻をモデルにしたのだそう。

そして大胆な動き。ミクロに震えるまつげ。手足の指の先のほのかな赤み。目線とくちもと。解説には「奇抜な女性表現やエロティシズムを追及するのでなく、(略)生活感あふれる清楚で上品な女性像を描いた」とあるが、むしろ煽情的な色気がある。上品であるだけに、かえってエロいと思うのだけれど。男性目線では違うんだろうか。

 

・山口蓬春「四季花鳥」1932 蓬春の印象が変わった作。

蓬春がこんなにキレのある表現をする画家だとは知らなかった。これらの鳥は甘ったるくなく、目線も鋭い。蓬春は彼らの意志と野生の人格を尊重している。まるいウズラでさえ。墨の竹は、全く緩まずとても潔い。萩の葉と花は、形も繊細な濃淡もとっても美くて、もう一度見たい。他の幅では、枯れてしまった蓮の墨色がたいへん美しかった。

蓬春は、最後の部屋の、各画家たちが描いた「十二カ月図」のなかでも、とくにシャープで鮮やかな美しさが際だっていた。朝顔の触手は其一レベル。カワセミの動き、墨の雁。全て、明晰なキレがあった。

 

荒木十畝(1872~1944) 大きな三作が見応えあり。 荒木寛畝の弟子で、養子でもある。

「松鶴図」1921 六曲一双 は現代画のよう。固いペンのデッサンの上に着色したようにみえるけれど、これは筆の墨線。すごい筆技だ・・

「黄昏」1919 は、赤い花、白いねこが幻想的。

「残照」1920 ざくろからして、幻想的な世界にいざなわれる。

幻想的というよりは、残照の幻影のよう。右上からの光に照らされて輝く山茶花とざくろ。しかし下のほうにはもう暗闇が忍び寄る。ふと富山水墨美術館で見た、石崎 光瑤(1884~1947)を思い出した。

十畝は十二カ月色紙も見ごたえあった。竜のごとくうねる樹の幹など、絵の向こうに独特の雰囲気が広がっていた。

 

・長野草風「宋壺白菊」1923年  独自の世界でお気に入り。壺に描かれた人の微妙さ。白い菊も妖しさを放っている。

草風は、東博で10月に見た「高秋霽月」1926 以来の出会い。この絵も独自の路線だった。公武合体・和宮の降嫁を推進した、老中、安藤信正の孫。玉堂の弟子でもある。

 

山本丘人十二カ月図の色紙 1938年は、とぼけた感じがいい。ふたつぽろんと落ちた南天の実、ホルスタイン牛、土筆とすみれの横にはらりと三枚の桜の花びら。農家の軒先のしろくろの犬。松葉牡丹の色紙には、蟻が三匹、右から左へ進んでいく。どこかほっこり、余情を残す。ここには急ぐものはなにもなく、のんびりまったり。丘人の目がさやしい。

 

他には、平福百穂「老松」1922 、「色紙十二カ月図」では、野田九帆、池上秀畝(牛、猪、ライオンなど重量級の動物が多い)なども良かった。 

ちょっと駅から遠いですが、行った甲斐ありました。

 



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