国家というものは、新しい国体が出来てから7、80年で衰退が始まるそうな。
これを「国家ライフサイクル理論」というのだそうです。
世界史を勉強したことがある人なら、けっこう「そう言われればそうかもね。」
と思うんじゃないかな。
ほとんど人間の寿命と同じだね。
人間のやることだから当たり前なのかもしれないけど。
でも、なんで国家にもライフサイクルが起きるんだろう、とぼんやり気になっていた。
そしたら、驚きですね。
140年も前に福沢諭吉先生が「学問のすすめ」の中に書いていました。
ちょっと転載しますね。
「(前略) たとえば、インドという国は古い。その文化が起こったのは、紀元前数千年前であり、そこで生まれた理論の精密で奥深いことは、おそらく今の西洋諸国の哲学と比べても恥じることのないものが多いだろう。
また、昔のトルコも非常に強い国であって、政治・文化・軍事などすべてが見事に整っていた。君主は賢明で、役人は公正だった。人口が多いことと、兵士が強いことは周りの国で並ぶものがなく、一時はその名誉を四方に輝かせたものだった。
したがって、インドとトルコを評すれば、一方は名のある文化国で、一方は武勇の大国だったといわざるを得ない。
しかし、今このニ大国の様子を見れば、インドはすでにイギリスの所領となって、インドの人民はイギリス政府の奴隷同然である。今のインド人の仕事といったら、ただアヘンを作って支那人を殺し、イギリス商人のみを毒薬商売で儲けさせることだけである。
トルコの政府も、名目上は独立してはいるものの、商売上の利権はイギリス人、フランス人に独占されている。自由貿易の元で自国の産業は衰え、機を織るものもなく、機械を製造するものものなく、額に汗してと土地を耕すか、懐手をしてただ無意味に日を送るかで、一切の工業品はイギリス、フランスの輸入に頼っている。又、自国の経済をコントロールする手段もなく、武勇の兵士も、貧乏のせいでさすがに役に立たないということだ。
以上のように、インドの文化もトルコの武威もその国の近代文明にちっとも貢献しないのは何故だろうか。それぞれの国の人民の視野が、ただその国内だけに限定されていたからだ。自国の状態に満足しきって、他国との比較は部分的なところでだけにして、そこで優劣なしと思って判断を誤ったからだ。議論もここで止まり、仲間を作るのもここで止まった。勝ち負けも、栄誉も恥辱も、他国の様子の全体を相手に比較することなく、人民が一国内で太平を楽しんだり、兄弟喧嘩をしているうちに、西洋諸国の経済力に圧倒されて、国を失ってしまったのだ。」
以上。
どうです?
結局、国民や政府が国内のことばかりに目を向けるようになって、内向きなってしまうから、国家が衰退するというのです。
福沢先生のこの発言は、まだ明治維新間もない頃ですが、すばらしい洞察力です。
ところで日本の現状はどうでしょう。
日常の話題が内向きになってやしませんか。
国際的な問題やニュースにはまるで目を向けず(というかほとんど放送されないのだけど)、
「モリカケ騒動」や「日大問題」、「伊調問題」、「セクハラ問題」にばかり目を向けていませんか。
北朝鮮問題、中華人民共和国による南方支配、同じく世界各国での大規模な土地買収問題、中東でのイスラエルを中心とした紛争、イタリアやスペインの政治・経済不安。
ほかにもロヒンギャなど各所で起きている人道問題、グローバル企業の税金不払いなどの横暴、経済世界のAI化などなど、いくらでもあります。
常に視点を1国家などではなく、地球規模で大きく見るようにして、
常に外国の動きに敏感になり、国家、国民の危機感を維持する必要があります。
決して自己満足、や自己批判に明け暮れることがないよう、
意識的に諸外国の動向や話題に目を向けることです。
そうすれば、ともすればマンネリ化しかねない国内に活気があふれてきます。
自分の人生だってそうです。
自分のことにかまけていては、落ち込むばかりです。
もっと周りを見、かかわっていくことで、活気があふれてきます。
第2次世界大戦から70年あまり。
「国家ライフサイクル理論」からいくと
そろそろいろんな国にほころびが生じてくるころです。
特に大国といわれる国々。全盛期を迎えた国々。
ソビエト連邦はすでに崩壊しました。
アメリカは、建国300年だけれども、世界に躍り出てきて100年。
そろそろ危ないかもしれません。
世界の基軸通貨「ドル」も徐々に揺らぎ始めているし、
国家も政府も大赤字を抱えてしまい、「世界の警察はもうやめる」と言い出したり、
気持ちが内向きになってきたのか、「アメリカ・ファースト」なんていいだす始末です。
やや末期症状の気配ではあります。
中華人民共和国も、欲望むき出しのジャイアンぶりに世界があきれ、
国内では莫大な隠れ借金のために、徐々に首が回らなくなってきています。
いつ経済崩壊を起こしてもおかしくない、との声が高まってきています。
一方、国民のほうはネット情報化社会によって世界中の情報に触れることで、
お里の知れた共産党をさげすむようになり、
中華人民共和国という国家が「共産党のための共産党による国家」であることもばれてしまい、
もはや国民に愛想をつかされている。
なんでも「人民の夢」は、シナから出て、外国で暮らすことなのだそうだ。
ましてや習近平は、自分のために国法までも変え、永久国家主席の地位を得てしまった。
共産党が独裁国家である(すでにスターリンで証明済みだけど)ことを証明してしまった。
本性丸出し。もはや皇帝も同然である。
後々、もっと権力を掌握できたときには、皇太子も立てるかもね。
新国家樹立となるか、そのまえに国家崩壊するか。
すでに国民の心は国から離れ、財政基盤はぐらぐらである。
国として末期症状を呈しているのかもしれない。
周辺の国々を見渡してみて、
「 政治や話題が『内向き』の傾向が強いな、この国」
という国があったら、けっこうその国は終末期を迎えてるのかもしれません。
してみると、
ほんと、日本は大丈夫なのでしょうか。
みんな、もっと世界に目を向けよう!
けっこう、危険な状態なんですよ。狙われてるんですよ、日本!
そしてもう一方で、多くの国々から頼りにもされているんですよ。
かつてのインドやトルコのようにならないように
日本は、世界の一部なんだという意識を、普段から醸成させていく必要があります。
世界のために、日本が果たすべき役割ってなんだろう。
国内で、もっとそんな話題が増えると、日本はどんどん元気になっていけると思います。