ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

記録と勘

2017-10-16 | 系図のこと

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結婚してしばらく経った頃、夫の病弱な叔母(父方)を訪ねたことがあった。玄関を入るとすぐの壁に古めかしい服装の婦人の写真が大きな額縁に入って飾ってあった。「これは祖母。」と夫は耳打ちしてくれた。応接間に入ると、銅を産出する州らしく、たくさん銅を使って葉や幹を表した大きなfamily tree(家系図)が壁にかかっていた。夫の叔母は、人懐こく、やさしくて、「@@@(夫)は、私の一番お気に入りの甥なのよ」とおそらく夫の兄二人にも同じことを言うのだろうことを言いながら、私が目を見張って見入っていた壁の家系図を説明してくれた。


https://i.pinimg.com/736x/5a/6f/f4/5a6ff41a3cbfa0f88dd67461f2de82a0--metal-sculptures-tree-wall.jpg

夫の叔母が所有していた系図の木は、この木を短くして横に広げたような木で

四角い基盤に納められていた。

 

一枚一枚の銅の葉には姓名が彫られていて、「これは私の祖母で、若くして寡婦となるも、際立つ裁縫の腕で南から移住してきたコロラドのその町で生計を立てたの。病人看護にも並外れて優れていたので、とても重宝されたらしいわ。」と話した。彼女は又たくさんの古い写真、書類、書簡などをチェスト(参照ここここ)に所蔵していて、「いつかゆっくり整理したいのよ。」と蓋を開けて見せてくれた。



こうしたことを見せられて、系図家なら誰だって垂涎するに違いない。私もそうだった。しかしながら、若かった私はしゃしゃり出てはいけないと思い、見せていただいてありがとうございました、と礼を言うにとどめてしまった。これは大失敗だった。写真を撮るとか、コピーしても良いかくらいは尋ねたらよかったのに、と、今思う。しばらくして、この叔母は病死し、この”宝”を引き継いだ娘も、ある夏思いがけずに急逝し、また夫の父親も、癌で亡くなった。夫に、あのチェストや系図の木は誰が今所有しているのか聞くと、おそらく夫の従兄にあたる亡き叔母の息子が引き継いだらしいと言った。

夫は父親が40歳過ぎて生まれた末っ子で、叔母と言ってもかなり年を取っていた上に、非常に若くして結婚し、子供を持ったので、夫の従兄と言えども、父親といえそうなくらいの年の差があった。その従兄は結婚し二人子供をもうけたが、離婚し、アリゾナ北部の山にある母親のキャビンに住んでいたりしたので、おそらく叔母のチェストはそこにあったと思われた。

最初にそのチェストや銅の系図の木を見て15年ほど経った頃から、私はチェストの内容物に関する夢を見始めた。銅の相場が高騰し、銅の系図の木は、おそらく換金の価値はあっただろうが、私はそれよりも、ともかく、チェストの内容物が気がかりだったのだ。その家の者でなければ、価値がないが、私にとっては、系図的に意義のある重要物ということである。そのチェストの中に、たくさんの夫の先祖の名前がひしめき合っているようにも思え、機会あるごとに、夫にあのチェストの中身を追跡したほうがよいのでは、と話しした。


チェストの中身に関する夢は続き、とうとうそれらを喪失する悪夢まで見た。切羽詰ったものを感じ、夫と休暇を取り、アリゾナへ行く計画をした。出発前に夫は従兄に連絡を取ると、なんと彼は少し前に軽いストロークを起こし、老人ホームにいる、と言う。ああ、やっぱり。私の夢には理由があったということだ。

早速ホームを訪ねると、彼は言葉が少し不自由で、左半身が少々不随になっていた。世間話の後、夫がチェストについて訪ねると、従兄は、それはキャビンに置いてある、と言った。病人に疲れが見えたので、早々に私達はいとまを告げて去った。その時、私はあのチェストも内容物もすでにないと感じた。

案の定それから少しして、その従兄は他界した。その後彼の元妻と娘と交流があった夫は、チェストがどこにあるか尋ねたが、二人ともなにも知らなかった。そしてその元妻もやがて亡くなった。キャビンもすでに人手に渡ってしまっているようだったので、チェストは売られてしまい、中身は燃やされでもしたのだろう。そう結論付ける以外に、考えも想像もつかなかった私は、暗黒な気持ちでチェストの内容物を諦めざるを得なかった。

おそらく焼失されてしまった(実は多くのこうした家族の歴史に関する書類や写真は、あまり考えられずに焼かれてしまうことが多い)だろう写真でも、ふとしたことで見つかるかもしれないと、見果てぬ夢を見ている私。自分の先祖ではないが、子供達、孫達の先祖である。そのチェストの内容物なしに、私は結局地道な探索で、夫と子供達をSons of American Revolution/Daughters of American Revolutionの会員に登録できたが、私が調べたかったのは、夫の先祖たちがどのような生涯を送ったのか、どのようなお顔だったのか、であった。

 

 

 

その後不思議なきっかけで、私はユタ大学マリオット図書館スペシャルコレクションに夫の先祖の写真と記録があるのを発見したのだった。夫も夫の家族も、初めて見る写真と記録だった。あちら側もこちら側に見つけて欲しいのかもしれないと深く感じ入ったことである。

どこへ旅してもアンティークショップを覗き、定番の鍵の山とともに大抵ある古い写真のコレクションを、今でも見逃さないで、まず写真の裏に何か書いてあるか調べる私。夫の先祖でなくとも、どなたかの先祖である。もしお名前や場所などが記されていれば、その子孫を探せるかもしれない。余計なお世話かもしれないが。

もしセピア色になった写真があなたの押入れやチェストにいつまでもあるなら、どうぞお近くのFamily History Center(日本では家族の歴史センター)へその処遇をお尋ねくださることを切に願う私である。


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