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My father didn't tell me how to live; he lived, and let me watch him do it. ーClarence Budington Kelland
「私の父は、どのように生きたらよいのか私に言いませんでした;彼は、私に彼がどのように生きているのか見せました。」 -クレアランス・バディングトン・ケランド
以下はある父親の話である。
私の高祖父、アロン・ホッジスの南北戦争入営申請書には、彼の生年が1818年とあります。彼の妻は、1809年に生まれており、これは彼の生年を懐疑的に見せますが、けれど、可能なことではあります。子供達の父親としては、かなり若かったのですが、彼の生年を示す他の記録書類は持っていなかったのでした。
http://www.hiddengenealogynuggets.com
参考: 南北戦争時の入営申請書
幸運にも代々家族に継がれてきた家族の歴史記録の書き込みのある古い家族聖書を受け継いだ遠い親戚の人に、連絡をすることによって、この(高祖父の年齢に関する)謎が解けました。その聖書の記録は、アロンが1808年に生まれていることを証明し、さらに何故彼の生年が大幅に入営申請書と異なるのかという謎も解明したのです。
http://www.familyhistorytreasures.org.uk
参考: 昔の聖書には、家族の歴史を書き込めるページがあった。これは古い英国の家族の聖書。
(聖書に書かれていた)家族の歴史は、アロンの二人の息子が、父親の許可なしに、南北戦争への入営申請をしたと明らかにしています。息子達の安全を危惧し、年齢を偽りー実年齢を丸々十年も偽ってー入営許可を得たのでした。これは、56歳に、自分の冒険好きな息子達のそばで、見守ることを許したのでした。入隊中、水疱瘡に罹りましたが、ありがたいことに彼は回復していました。
私自身小さな子供の母親で、一人の父親が、自らの命の危険を顧みず、年齢を偽り、妻を置いて、息子達を傍らで見守りたかったことは、胸を打ちます。明るみになったこのことは、軍事記録にある懐疑的な生年をある父親の息子達への愛情の証へと変えたのでした。
ジュリー・K.・パーディ、ワシントン州
In search of Our Ancestors, by Megan Smolenyak