ベトナム・ホイアンの歴史について

小倉貞男『朱印船時代の日本人 消えた東南アジア日本町の謎

5月にベトナムのホイアンを旅行した(詳細については別ブログにまとめている)。ホイアンにはかつて日本町があったという。確かに、そこかしこに「日本らしいかな?」と思えるモチーフはあった。しかし、中国風・ベトナム風と入り混じり、はっきりと「日本のものだ!」と断言できるようなものは見当たらない。

日本橋(Japanese Bridge)とも呼ばれる来遠橋。この橋から先が日本町だったらしい。

しかも、日本町がどこにあったのか、どのくらいの人が暮らしていたのか、といった詳細は謎に包まれているという。ガイドブックでは、江戸幕府の鎖国で日本人が去り、日本町が廃れ、その後ホイアン時代も地形の変化などにより廃れていった、という説明がなされている。そこだけ読むとまるで日本の鎖国がホイアン衰退の原因であるかのようなのだが……。実際はどうだったのか? そしてなぜこんなにも謎だらけなのか?という疑問に一部答えてくれたのが、この本だ。

まず、今ベトナム中部で栄えている土地といえばホイアンからほど近いダナンなのだが、その理由は「地形の変化」だけではないらしい。
ダナンが栄えたきっかけはフランスの進出だ。植民地化に伴って、「それまでのヴェトナムの権威を否定するため、…(略)…数百年も続いた外国交流の重要な拠点であったホイアンの歴史的存在を否定」(pp.35-36)する政策がとられたのだという。その結果ホイアンが要所だったという事実は忘れ去られ、日本でも長い間「日本町はダナンにあった」というのが定説になっていたのだそうだ。フランスにとっては、その戦略が成功したということなのだろう。
なぜ日本町についてこんなにも情報が残っていないのか? という問いについて、納得できる回答が得られた。

ちなみに本書の発行は1989年。ホイアンやミーソンが世界遺産に指定される10年前だ。著者が現地へ向かう様子や調査の際の情景などには、隔世の感がある。
日本からホイアンへの道のりも、朱印船時代は船で最低3週間、本書の発行時はバンコク経由で最低4日。それが今では直通便+車で6時間かからない。現地もかなり観光地化されているし、時代は変わったなあ、その割には研究が進んでるわけではないんだなあ……という微妙な気持ちになった。
これからホイアン旅行に行くという方は、そのバックグラウンドを知るという意味で、読んでおくとおもしろいのではないだろうか。

なお、私の興味の偏りからホイアンのことしか語っていないが、実際にはアユタヤについての記述や、貿易に乗り出した日本人についての記述も多い。
ホイアンに限らず、日本人町の痕跡は薄い。単に鎖国政策がとられたからそうなっているとは言い切れないようだ。昔から外交が苦手だった、日本という国の姿も垣間見られる。

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