南京条約で得たものだけでは物足りなく、次の機会を伺っていたイギリス。
イギリスを見ていて、自国も利を得たいと思っていた他の列強諸国。
アメリカもイギリスに負けじとトルコでアヘンを栽培し、中国・清へ輸出しました。
イギリスのインド産に比べれば質が落ちますが、既に中毒になっていた清の人たちにとっては大差を感じません。
フランスはイギリスと同調し、第2次アヘン戦争・アロー戦争に参加します。
が、その前に中国・清では内乱がありました。「太平天国の乱」です。
アヘン戦争の賠償金でますます清の人民は苦しくなり、支配民族である満州人に不満を抱えていました。
そんな折、「洪秀全」という人物がキリスト教の教えをもとに「太平天国運動」を始めました。
満州人に強要された弁髪をやめ、男女平等を謳い、この世のものはみな平等としたので、多くの漢人が参加しました。
日本でも時々ありますがー
仏教系の新興宗教、キリスト教系の新興主教…これも洪秀全が「勧世良言(かんせりょうげん)というキリスト教の伝道書を手に入れはじめたもので、純粋なキリスト教ではありません。
洪秀全は官吏登用試験である「科挙」に3度落ち、精神的に病んでいました(^^;)
そんな折、夢を見ます。
金髪の老人に「悪魔を倒せ」という命を受けるのです。
改めて「勧世良言」を読み直すと、この老人こそキリスト教の神で、「自分はキリストの弟」だと思うのです。
そして、宗教結社「拝上帝会」を作ります。
…
科挙試験のために儒教をさんざん勉強した洪秀全です。
キリスト教の用語を用いた内容は儒教といったごちゃまぜのものでした
洪秀全は自らを「天王てんおう」を称し、5人の弟子を北王・南王・東王・西王・翼王とし、拝上帝会は1851年から「太平天国」と名を改め、本格的な革命軍として清と戦います。
太平天国軍は規律に厳しく、地主・裕福な商人から没収した戦利品や食料を平等に分け与え、占領地の人にも分配しました。
アヘン戦争後は増税で苦しんでいた民衆は続々と参加し、太平天国軍が進軍するたびに参加人数も増えて行きました。
当初は強奪・婦女暴行などけして許さない清廉な軍であったため、大変な人気を誇りました。
しかし、だんだんと5王の間、天王との権力関係にゆがみが見えてきます。
1856年、「天京の悲劇」が起こります。