姫路城 その1 | おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

世界文化遺産、国宝、そして城マニアにとっての聖地「姫路城」です。


5年間にわたる「平成の大修理」を終えて、その圧倒的な美しさから大ブームになったのが2015年。
以来2年以上が経過して当初「白すぎ城」と揶揄された大天守の屋根も、ようやく落ち着いた色になってきました。
私もその間何度か新幹線のホームから眺めたことはありましたが、今回は8年ぶりの登城になります。


姫路城は姫山、鷺山という二つの山を中心に築かれた平山城。
その歴史は鎌倉時代の守護赤松氏がこの地に築城したことが始まりといわれています。


戦国時代、黒田孝高(軍師・官兵衛)が城主となったのちに、羽柴秀吉が中国攻めの拠点とするために大改築を行い、このときに三層の天守も建てられたといわれています。


ただし、現在の姫路城には秀吉時代の遺構はほとんどなく、関ヶ原後に入城した池田輝政によって現在私たちが見ることができる城郭が整備されます。輝政はもともと信長、秀吉の家臣でしたが、家康の娘婿となり、その信頼を得ます。姫路城は西国の外様大名から防波堤の役目を果たすための「要塞」であったのです。


池田氏以降江戸時代には藩主が目まぐるしく変わりますが、これは藩の石高に比してあまりにも城が立派すぎてその重圧に歴代の藩主が耐え切れなくなってその座を投げ出したたことによるというもっともらしい説があります。


明治以降姫路城は競売にかけられ、城下の金物商に23円50銭(現在の価値に換算してなんとたった10万円!)で落札されます。
ただし結局解体費用がかかりすぎるということで陸軍がその権利を買い取り、城跡には陸軍部隊が置かれます。
太平洋戦争でも奇跡的に大きな被害を受けることなく現在にいたっています。

明治以降平成まで何度か修繕工事を重ねて現在の美しい姿を見ることができますが、多くの人がこの姿を後世に残すために努力をしてきたことを忘れてはいけません。


訪問レポートは次回ということで・・・


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