2017年8月10日木曜日

口先核武装論

●核アレルギー


世界唯一の被爆国である我が国ですが、その我が国で「核武装」というとなぜだかアレルギー的に拒絶反応を起こす風潮があります。確かにその悲惨さを、他のどの国よりもまさに身をもって知っているから、ではあるのでしょう。悲惨さを知っているから、反核兵器への世論が強いと言われます。

しかしこれには強烈な違和感を覚えます。

あえて言うならば、「我が国は世界で唯一核武装する事を正当な権利として持つ国家である」と主張したいです。(実際に行使するかどうかは別問題です。現状の世界情勢と外交関係を見ると、まだ現実的だとは思えません)

「自衛権」は何者にもまさる最上位の権利であるならば、その唯一の被爆経験を持つ我が国がそれに対する正当な権利として、核武装する権利を有するのは当然のことではないのか。それがなぜ世界で最も反核な風潮を持つ世論なのか。僕には全く理解できません。

断言します。我が国は世界で唯一の被爆国であるために、他のどの国家よりも最も正当に核武装する権利を有しています。



●口先核武装論


経済用語で「口先介入」という言葉はご存知でしょうか。例えば金融市場や為替市場が異常な値動きをしている際に、日銀や財務省などが公式・非公式に関わらずその値動きに対してちょっとしたコメントや、将来的な介入の可能性などを匂わせるだけで、実際に当局が資金投入したわけでは無いにもかかわらず、値崩れしていたものが持ち直したり乱高下していたのが安定したりします。そんな実際に介入はしていないにもかかわらず、口先だけで相場へ介入したかのような影響を及ぼす事を言います。


では口先核武装論とは?

我が国は、(最近怪しくなってきてますが)紛いなりにも先進国であり、自前の科学技術のみで核武装する事は十分に可能です(実際どの程度日数必要なのかは知りませんが)。また、ミサイル技術に関しても、例えば「はやぶさ」の件に見るように、高いレベルでの技術を有しています。

つまり我が国は、「世界で最も核武装する正当な権利を有し」「開発能力も、ミサイル積載の能力も、十二分に満たしている」、なのに我が国が核武装していないのは、ただその国家の意思として「核武装しない」という選択をしているにすぎません。

その我が国において、例えば防衛大臣が「近隣諸国の情勢を鑑みて我が国においても核武装による自衛を検討せねばならない」と発言した際どうなるか。その能力と権利を有する国家が、最後に意思も持つとなれば、核武装そのものには及ばないにしても、それに近い影響力を持つことができます。

核を持たずに核武装の影響力を行使する。こんなにも平和的な核兵器利用方法は他にないのではないでしょうか。核武装の議論を決して忌避してはならない、と強く思います。

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