#147 歌舞伎を愛した一武士 ~「権十郎の芝居」~ | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

演目に「十」が付くのは「権十郎の芝居」、「十徳」と「お七の十」の3つがある。ここでは文芸ものの「権十郎の芝居(ごんじゅうろうのしばい)」を鑑賞しよう。幕末の動乱に散って行った、歌舞伎をこよなく愛した一人の下級武士の物語で、原作は「修善寺物語」や「半七捕物帳」などで知られる劇作家の岡本綺堂である。

 

江戸時代においては芝居(歌舞伎)は庶民の娯楽であったから、観るのは町人と職人が大半で、武士は大手を振って芝居小屋へ通うことは出来なかった。しかも10年程前に、見物していた武士が主殺しの役を演じた役者に激昂して斬り掛かる事件があり、大小(刀)を芝居茶屋で預けることが義務付けられ、同時に武士の鑑識眼は馬鹿にされた。

 

江戸の町奉行の組与力を勤める藤崎与一郎は大の芝居好きで、母と下女との3人暮らしをしている21歳の下級武士である。

「お前、明日は芝居見物だそうね。でも、あなたの嫌いな権十郎の舞台なんでしょう?」と母が怪訝そうに訊くと、「ええ、河原崎権十郎(山崎屋)は下手くそな役者で大嫌いなんですが、他の出演者が豪華なので見逃せないのです」「でも、権十郎は若い人を中心に大変な人気者なんでしょう?」「彼らは観る目がないんですよ」と母子が話をしているところへ、同輩で無二の親友の寺井が訪ねて来た。「明日、講武所で剣術の試合があるんだ。尊王攘夷と世の中が騒がしい折から、君も顔を出しておいた方がいいんではないか?」と忠告する。「ありがとう、だが、明日はどうしても芝居を観に行きたいんだ。よろしく言っておいてくれ」と藤崎の気持ちは変わらなかった。

 

翌日、芝居茶屋へ着くと顔馴染みの女将が枡席へ案内してくれた。商家の夫婦、職人2名らの7人の相席であった。幕が開いた。商家の夫婦は「待ってました、山崎屋!」「権ちゃん!」と声援を送る。場内からも「山崎屋!」の掛け声があちこちから掛かる。人気度は随一で相席の6人も皆、権十郎のファンであった。藤崎は苦虫を噛み潰すような顔をして、「相変わらず下手くそだな権十郎は、この大根役者!」と思わず口走った。これを聞いた商家の夫婦が咎めて来た。「権十郎のどこが下手くそなのです?」「素人芝居だよ、あいつの演技は」「わざと素人っぽく演じているのよ」と応酬が続く。同席の職人が「うるさいね、あんたも役者へ斬り掛かった侍と同類かね?」と仲裁というより藤崎を揶揄し、夫婦の味方をした。藤崎は怒り心頭に発したが無礼討ちも出来ず、ぐっと我慢をした。茶屋の若い衆が気を利かして藤崎を別席へ連れて行き、場は収まった。

 

刀を受け取って芝居小屋を出た後、藤崎はいつもの鰻屋へ入り、鬱憤晴らしに酒を飲み始めた。芝居見物のお定まりのコースで、例の4人組も後から入って来て、藤崎を見てひそひそ話や含み笑いをしながら食事を始めた。藤崎は自分が馬鹿にされているのを感じ、酒の勢いもあって殺意を抱いた。先に店を出て、待ち伏せした。雨が降り始めていた。やがて4人が通り掛り、藤崎は夫婦を斬り殺し、職人2人は逃げて行った。

 

酔いが覚めて後悔した藤崎は母に全てを打ち明け、切腹しようとした。母はこれを止め、組頭に相談することにした。組頭は「成り行きをみよう」という裁断を下した。

職人の証言で、芝居好きの腕の立つ侍という線で捜査が行われたが、芝居茶屋の女将が「まったく知らない一見(いちげん)さんでした」と嘘の証言をしてくれたこともあって、奉行所は通りすがりの正体不明の辻斬りと断定し、捜査は終わった。

寺井が訪ねて来て、「犯人はお前だろう?」と言う。藤崎はこれを認めて経緯を話し、「今後一切、芝居と酒を断つ」と約束した。

 

6年後の明治元年、明治新政府(官軍)と彰義隊が東京・上野の寛永寺一帯で対峙した。藤崎も寺井も彰義隊に加わっていた。いよいよ明日は決戦という夜、藤崎の姿が見えない。「逃げ出したか?」と同志は言うが、寺井には分かっていた。深夜に柵を乗り越えて藤崎は帰って来た。寺井が出迎えると、「この世の名残に芝居を観に行っていた。権十郎が見違えるほど実に上手くなっていたのには驚かされた。あの夫婦の鑑識眼の方が高かったのだ。恥じると共に改めて申し訳ないと思っている」と打ち明ける。

翌日、戦いの火ぶたは切られた。藤崎は大向こうから「待ってました、藤崎屋!」という掛け声を聞いたような思いで敵陣へ斬り込み、討ち死にした。懐にはお経本の代りに芝居の番付を抱いていた。権十郎は後の大看板、九代目市川團十郎である。

 

(上野不忍池・東京 2009年)

 

演目に「一」から「十」の数字の付く噺は、私の知る限りでは62題を数えた。これに、「十」を超えるものとして「二十四孝」、「三十石」、「百年目」(#100参照)、「百川」、「千両みかん」(#131参照)「千早振る」(#73参照)「稲川千両幟」(#60参照)、「加賀の千代」、「掛取万歳」(#108参照)、「土橋万歳」、「万病円」があり、合計73題にもなる。最も多かったのは「三」で、17題を数えた。

 

【雑学】落語演目に限らず、「三羽烏」「御三家」「日本三景」「三国一」「三々九度」「三種の神器」「三々七拍子」「万歳三唱」「三本締め」など、「三」という数字は日本語の熟語に多く出て来る。権力の象徴でもある(かなえ)など三本足には安定感があり、また、二人だと対立しやすいが三人だと牽制し合って和・バランスを保ちやすい。聖徳太子の時代から「和」を好んで来た日本人にとって「三」は吉数であるということの現れであろう。

漢数字の入った熟語は実に多く、数え切れない。ゲーム感覚で活用すれば楽しく国語の勉強が出来るであろう。今は「三寒四温」の候、春は近い。

 

(大阪城梅林・大阪 上:2006年 下:2003年)

 

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