忍城十五門のうち、一番奥藩主居住の二の丸の入り口にあった。両面が太鼓の両面に張られた皮のようにどちらが正面かわからないので、太鼓門といった説と、櫓上に太鼓を置いて急を告げたとする説がある。
現在忍中学校の正門前にあり、中学生の敷地内は二の丸の平屋が十数軒並んでいたとされている。石碑が建てられたのは、昭和54年。中学三年間毎日この前を歩きながら通っていたが、当時は気にとめることもなかった。
現在忍中学校の正門前にあり、中学生の敷地内は二の丸の平屋が十数軒並んでいたとされている。石碑が建てられたのは、昭和54年。中学三年間毎日この前を歩きながら通っていたが、当時は気にとめることもなかった。