小さな頃より、人との競争が嫌いだった。ゲーム、遊びでも、相手が負けるのと見るのが嫌だった。悲しそうな顔、悔しそうな顔、そんな顔を見ても全く嬉しくない。
わざと負けることすらあった。そんな自分は周りから責められることもあった。

”やる気あんのか”、”この世は競争社会”、”もっと覇気をもて”、”ずるいところも持たないと”、”勝たないと意味ないよ”、”真剣に勝負しなきゃ”等々

そのうち、競争に飲み込まれていった。人と競争できるようになった。勝って嬉しいふりもできるようになった。負けると悔しいふりもできるようになっていった。

そんなことが続くうちに自分の本心がわからなくなっていった。

それから何十年もたつ。そんな状態で、出世できるほど世の中は甘くない。組織人として輝かしい地位を得ることもなく、個人事業主となった。

ただ、そのことに全くの後悔はない。後悔するとしたら、自分に正直に生きられなかったことかもしれない。

こんなことを考えたきっかけは、箱根駅伝 なのかなあ。そうでもあるしそうでもないかもしれない。

私の応援していた神奈川大学は、4区まで3位だったのに、5区で大失速し、往路14位。復路も挽回できず13位で シード権を逃してしまった。私が思うのは、5区の選手のことだ。
5区山登りはいつも注目してTVでは必ず見ているのだが、今年は用事がありみなかった。 だから、失速した選手がどんな風に走っていたか知らない。新聞記事で見た、「低血糖」状態だったということぐらい しか知らない。

色々と想像した。

今どんな気持ちなんだろう。自分を責めているだろうな コンディション(身体、心)に失敗 したことを後悔しているかな 周りが慰めてくれるのが逆に辛いだろうな いや意外と元気でサバサバしているのかも 等々

駅伝は、競争。とはいえ、競争は勝たなければ意味がないのだろうか。

あらためて思った。私は単なる勝ち負けには全く興味がない。

私は、走っている選手たちが何を考えて走っているのか? どういう練習を積み重ねてきたのか?チームとしてどんなことをやってきたのか? 直前で交代を言われた選手(出ることになった選手、出れなくなった選手)はどういう気持ちなのか? 怪我をしてしまった選手は何を考えているのか?タスキをもう少しで渡せそうで渡せなかった選手の気持ち 痛みをこらえながら走る選手の気持ち、頑張り、そういったことに興味があるのだった。背景にあるストーリーに興味があるのだった。

何かのナンバー1は目指さない。

周りの人の幸福感がちょっとでも高まるような活動を好きなやり方で コツコツゆっくりとやっていく。それで効果を出していくこと。
特に学生が幸せに感じる進路選択、就職先選択、その先の人生を豊かにするお手伝い。

そんなことを考えた正月だった。



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