クーポラの鳩たち⑤ ( 余談はヴェトナム料理 ) 
からの続き

完全な恋人同士にもなれず、また完全な家族にもなりえない。
両方の中間部分に位置していたからこそ、時に恋人よりも密度の濃い感じがした。
密度?
正確には何の密度なのかよく分からない。
空気のようなものだ。
すべてのことを口に出して言うのが美徳とされているこの国の人にしては珍しく、彼は行間の事柄に対しとても敏感だった。
私の目の動かし方や視線の先、そのようなところからも気持ちの変化を汲み取れるような繊細さ、そのようなものを彼は兼ね備えていた。
そして、私の繊細な部分と彼のそれとは同じ形状をしていた。
彼の方が受け口が大きいくらいで素材は一緒であるから、吸収するものの質やその仕方が一緒なのだ。
一緒にいるのが楽だったのは、そういうことだ。
楽なことがよいことなのか、もしくは幸せなことかは分からない。

知り合ってから1年後、彼は" 心の病院 "に通い始めた。
この国ではよくあることだ。
ほぼ毎日のように顔を合わせていたが、彼の通院理由が分からないほどに私との関係は穏やかだった。

- ひとりでいるのが怖いんだ。

彼は真剣な顔でそう言った。

- 君と別れて家に帰ると、突然 "僕はひとりなんだ" そういう感覚がどっと押し寄せてくる。家族といても、自分だけが孤独のような気がしてどうしようもなくなってしまうんだ。なんだかとても辛くて眠れないこともよくあるんだ。

なんと言ってあげたらいいかよく分からない。
こんな時は無言で胸の中に包み込んでしまう。

しばしの無言を解き放つかのように、顔を私の正面に持ってきて彼は言う。

- 僕は、いつになったら元のオルランドに戻れるのだろう。すべてのことに満足して生きていた、あんな自分に。自分の幸せさえ見つけられないのに、ましてや Tsugumi に幸せを与えることなんて出来るわけがない。相手に100パーセントを与えられないという意味においては、僕はやはり人を好きになる資格は無いような気がする。

また俯いてしまった。

- オルランドは完璧を求めすぎているような気がする。今は50パーセントでもいずれ100パーセントになる日が来るのじゃないかしら?それにいつもいつも100パーセントなんて無理だわ。いろいろな精神状況の時があるもの。足りない部分をお互いに補い合っていくために、だから一緒にいるのだと思うけど、、、

- お互いに100パーセントというのが僕の理想なんだ。しかも、Tsugumi には全く関係のない自分の過去のことが原因で、今は100パーセントになれない自分がいる。やはりこれは自分で解決しなければいけない問題なんだ。こうしてついつい君に話してしまうけど、本当はよくないことも知っている。実際に今まで、僕は自分の問題についてあまり人に話したこともなかったんだ。Tsugumi といるとあまりに自然でいられるから、そんなことまで話してしまう。でもこれじゃいけない気がしてきたんだ。だから、病院に行くことにしたんだ。

どのような方法でも、彼が彼らしさを取り戻してくれればよかったのだ。
そのような場所で、私たちの関係にひびを入れられるとは思ってもみなかったから。( 続 )


今日の余談は、、、
海の幸のスパゲッティ
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イタリアでは海の幸のスパゲッティを
spaghetti ai frutti di mare 
というのだが、
岩にしがみついているムール貝などが入っていたりすると、
spaghetti allo scoglio 
とも言ったりする。
直訳すると、
”岩礁の”スパゲッティ

イタリア語は日本語と比べ、語彙がとても豊富である。 
同じ事を表す異なった言い回しがいくつも存在する。
方言もしかり。
そして日本人同様に、人にはそれぞれ口ぐせや無意識に好んで使う言葉がある。
なのでAさんとばかり話しているとAさんの語彙=イタリア語のすべて と思いがちになってしまう。
いろいろな人と話すことにより、新たな語彙を開拓することができる。
どうせなら、綺麗な言葉や美しい語彙を選んで話すイタリア人と一緒にいたいと思う今日この頃である。


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