プーチンが心酔する哲学者2人の思想が最凶にキ●ガイだった!…日本は今後大ピンチに…イワン・イリンⅢ

 

 

プーチンが心酔する哲学者2人の思想が最凶にキ●ガイだった! 日本は今後大ピンチに…イワン・イリン、アレクサンドル・ドゥーギン完全解説!の画像4
画像は「Big Think」より引用

 これまでの主要な政治理論の主体として定められていたのは、自由主義では個人、共産主義では階級、ファシズムでは国家や人種だったが、第四の政治理論の主体はそのどれでもない、純粋な存在者である「ダーザイン」だという。一体どういうことだろうか?

 ダーザインとは日本語で「現存在」と訳されるハイデガーの哲学の主要コンセプトの1つであり、平たく言えば人間のことを意味しているのだが、ハイデガーはいかめしく「存在の意味が現れる場所」と規定している。著書『The Fourth Political Theory』で、ドゥーギンはこのダーザインを“純粋な存在者”であり、“本来的”だと指摘する一方、その反対にこれまたハイデガーの主要コンセプトの1つである「ダスマン」を対置している。ダスマンとは日本語で「世人」と訳されることが多く、誰とでも取替え可能で、”非本来的な“状態の人を指す。”生気のない人形“とドゥーギンは表現している。

 さらに、ドゥーギンはハイデガーの哲学史観を要約し、古代ギリシア哲学から現代科学まで続くダーザインとダスマンの関係を語る。それによると、古代ギリシア人の哲学的焦点となった“存在”の問いは、純粋存在(存在すること)と存在の表現様態(存在するもの)を混同するようになってしまい、純粋存在が忘却されてしまったという。その頂点はプラトン哲学にあり、プラトンは純粋存在を忘れ、真理を人と存在するものの間に置くことで、真理の探究を存在の問いではなく、知識の問題にすり替えてしまった。そして、計算可能な「存在するモノ」の方が優位となったため、それが“計量的思考”を生み出し、科学技術の進歩を招いたという。この要約がハイデガーの意に沿うものかは分からないが、少なくともドゥーギンは、純粋存在を問うていたダーザインとしての人間が、プラトン哲学、そしてそれに続く科学技術の進歩により計量的思考、交換可能なモノのことしか考えず、自分自身もそのようなモノとして扱われるダスマンに堕してしまったと考えているようだ。

 さらにドゥーギンは、ハイデガーが自由主義を嫌悪していたと指摘。その理由は「(自由主義は)計量的思考の源泉だから」だという。ドゥーギンは詳しく解説していないが、おそらく次のようなことを意味しているのだろう。

 計算可能なモノを取り扱う計量的思考は、人間を労働者としてモノ化してしまう資本主義を生み出した。そして、資本主義が生まれる土壌を提供したのが、個人主義、私的所有権、自由市場の基礎となった自由主義である。そのようにドゥーギンは言いたいのではないだろうか。ちなみに、海外メディア「Quartz」(2016年12月24日付)によれば、ドゥーギンの技術嫌悪は凄まじく、「インターネット、物理学、化学などの現代科学は全て破棄されるべき」と主張をしているという。