2018年1月29日

星野仙一さん

星野仙一さんが中日の監督をしていたとき、その強面ぶりに、こんな人が上司だったらリラックスして仕事できなさそう。最初、そんなふうに思っていた。

ところが、何があっても表情を変えずベンチにどっしりと腰を下ろしている星野さんを見て、だんだんいいなと思うようになった。

西武の監督をしていた東尾修さんや、ソフトバンク監督の工藤公康さんのように、点が入ったときは大喜び、劣勢になった途端にがっくりと、一つ一つ表情に出る人だと、かえって落ち着かない。いつのまにかそう思うようになり、星野さんのことが苦手でなくなっていったのだった。むしろ好きになっていった。

カープの監督、緒方孝市さんも、試合中、表情を大きく変える人ではないので(いいプレーが出たときはもちろん喜びを表すけれども)、そういうところはいいなと思っています。




1月6日の朝、星野仙一さんが亡くなったというニュースを聞いて、静かにショックを受けた。

スポーツジャーナリストの石田雄太さんが、『週刊ベースボール』(2018年1月29日号)に書いていた、星野さんとのエピソードはひときわ心に残るものでした。

小学生時代、名古屋の小学校で壁新聞コンクールが行われることになり、新聞委員だった石田さんたちは「ドラゴンズの選手へのアポなしインタビュー」を企画して決行。

今では考えられないことですが、当時(1975年頃)、プロ野球の選手名鑑には、選手の自宅の住所が載っていたそうです。なんと牧歌的な。

小学校の学区内に住んでいた選手の自宅を直撃するも、不在だったり、断られたりで、取材は難航。最後の一人、星野さんの住むマンションへおそるおそる訪れると……。

なんとインタビューに応じてもらえることになり、家の中に招き入れられたという。そのときの、星野さんの、ぶっきらぼうな言葉と笑顔が、あぁ星野さんだ! という感じなのです。

星野さんにインタビューをしたという宝物のような経験が、「野球記者になりたい」と本気で思うきっかけになったそうなのです。

「あれから千回を超えるインタビューをしてきたが、人生で初めてのインタビューは10歳のとき、その相手は突然、家を訪ねてきた見ず知らずの小学生に向き合ってくれた星野仙一さんだった」

何度も読み返してしまうのでした。



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