でも、この過去生の話について、わたしは納得できた。まぁそうだろうと。しかし、どの出来事も、深く意味を探らなくてもいいようなことだと言えた。

 ただ、流れていくだけのことでいいいのだ。

 償いとか、そういうことはどうでもいいことだと、心底思えた。

 わたしの側からすれば、そのようなことがあったとしても、それを引きずって、纏うことはない。だからそれを纏っていなかったのに、その衣を、わたしが纏う気のなかった衣が降りてきた感じがした。

 

 その男二人が、なぜそういう行動をしたのかという理由も、過去生にあると言われた。

 わたしが神の舞をする巫女のような存在であったとき、男二人は熱烈な信者のような存在で、こころを奪ったという罪を犯したのだという。

 結局のところ原因はわたしにあるということなのだ。もうこれ以上はいいと思えた。知りたくないという気持ちが充満するように、自らを閉ざしていった。

 

 そして、それ以外のものは探れないようだったので、もうそれ以上掘り起こす必要はないのだと思えた。

 わたしも納得して終了した。

 その後、過去生を知ることは必要なのか、自問自答する日々になった。

 わたしの場合、もうその服を脱ぐ時期だというときに、過去生というものが浮き上がってくるように見えるときがある。

 それに誇らしく輝かしい過去生なんて見たこともなかった。その人の後ろめたく覆い隠してしまいたいことが、過去生という部分に納められていた。

 興味本位に、ほじくるように過去生を見た後、きっちり切り離して処分できると思っていたが、そのもの自体がわたしにはっきり見えることもなく、だからといって全く存在していないものと断言できることはできず、どんよりして暗いものがこころに漂う感覚だけが残った。

 知らないなら知らないままの方が、良かったのかもしれない。

 過去生の知る必要などないのだと、そんなもの必要なのかと、蹴散らしてしまいたいほどの感情が、自分の中に潜んでいること感じながら、この部分を、聞く前の状態に戻そうと努力した。

 

 


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