高遠城 | おおとり駆の城日記

おおとり駆の城日記

子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

城めぐり久しぶりの遠征です。桜の名所として名高い長野県伊那市の高遠城を訪ねました。日本100名城であるとともに日本さくら名所100選にも選ばれています。



高遠城は戦国時代、諏訪氏一門である高遠頼継の居城でした。1545年に武田信玄が攻略、以後は武田家の軍事拠点となり、山本勘助が縄張りを行い、秋山虎繁が大規模な改修を行ったといわれています。

その後、信玄の子である仁科盛信が城主となりますが、天正10(1582)年織田信長の嫡男織田信忠の軍勢に攻められ、高遠城は落城します。
 江戸時代に入ると、保科氏、鳥居氏につづいて、元禄4年(1691)に内藤新宿で有名な内藤氏が入封し、明治に至ります。


地形は南に三峰川、北に藤沢川が流れ、このふたつの川が合流する段丘上に築かれた平山城で、川からの比高は約70m。本丸を段丘の突端に置いて、北から東に二ノ丸、三ノ丸などを配した縄張で、曲輪の間には深い空堀が設けられていました。戦国時代の武田流城塞の面影を色濃く留めていたようですが、明治に入って一部は埋め立てられています。


勘助曲輪とよばれる武家屋敷がかつてあったとされる駐車場に車を止めました。かなり広い駐車場でしたが、日曜日にもかかわらず5台くらいしか車がなく、桜の時期以外は閑散としています。昭和59(1984)までこの地にあった高遠高校のグランドとして使用されていました。


大手門
勘助曲輪の道向かいに建っています。大手門にしては妙に背の低い門だなあと思ったら、随分当時の姿からは切り詰められているそうです。高遠高校の正門として使用されていました。


天下第一の桜の碑
高遠城の桜は「タカトオコヒガンザクラ」といい、ソメイヨシノと比べてピンク色が濃いのが特徴です。満開の時期は多くの人で賑わいます。


桜雲橋(おううんきょう)
二の丸と本丸にかかる高遠城のシンボルといえる橋ですが、桜の葉が生い茂ってこの時期はベストな景観とはいえないようです。

問屋門
二の丸から桜雲橋を渡り、この問屋門をくぐれば本丸跡です。この門も当時のものではなく、城下の本町にあった門を移築したものです。


太鼓櫓
江戸時代に時報代わりに太鼓を叩いていたといわれますが、もちろん当時のものではなく、大正2年(1913)に建てられたものです。


桜が咲いていない時期なので、人も少なく城内は桜の緑の木々が鬱蒼
と茂り、虫(ブヨ)が凄かったです。写真だけを撮り早々に退散しました。


ランキング参加しています。
よろしければご協力お願いします。