城めぐり久しぶりの遠征です。
高遠城は戦国時代、諏訪氏一門である高遠頼継の居城でした。1545年に武田信玄が攻略、以後は武田家の軍事拠点となり、山本勘助が縄張りを行い、
その後、信玄の子である仁科盛信が城主となりますが、天正10(
江戸時代に入ると、保科氏、鳥居氏につづいて、元禄4年(1691)に内藤新宿で有名な内藤氏が入封し、
地形は南に三峰川、北に藤沢川が流れ、このふたつの川が合流する段丘上に築かれた平山城で、
勘助曲輪とよばれる武家屋敷がかつてあったとされる駐車場に車を止めました。かなり広い駐車場でしたが、日曜日にもかかわらず5台くらいしか車がなく、桜の時期以外は閑散としています。昭和59(1984)までこの地にあった高遠高校のグランドとして使用されていました。
勘助曲輪の道向かいに建っています。大手門にしては妙に背の低い門だなあと思ったら、随分当時の姿からは切り詰められているそうです。高遠高校の正門として使用されていました。
高遠城の桜は「タカトオコヒガンザクラ」といい、ソメイヨシノと比べてピンク色が濃いのが特徴です。満開の時期は多くの人で賑わいます。
桜雲橋(おううんきょう)
二の丸と本丸にかかる高遠城のシンボルといえる橋ですが、桜の葉が生い茂ってこの時期はベストな景観とはいえないようです。問屋門
二の丸から桜雲橋を渡り、この問屋門をくぐれば本丸跡です。この門も当時のものではなく、江戸時代に時報代わりに太鼓を叩いていたといわれますが、もちろん当時のものではなく、大正2年(1913)
桜が咲いていない時期なので、人も少なく城内は桜の緑の木々が鬱蒼と茂り、虫(ブヨ)が凄かったです。