あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
気がついたら年が明けて4日もたっていました…!!
つなさんぽの更新予定の火曜日が気がついたら過ぎていて…
お待たせしてしまいました
去年は珍しく、紅白歌合戦を最後まで観まして、蛍の光が最後に歌われることを初めて知りました。
いつもはガキ使を観ながら笑っていたら年を越していたので
メリハリがあって何だか新鮮でした。
さて、綱島に来て4年になりますが綱島に神社があると知ってからは毎年二年参りに出かけるようにしています。
実家にいた時からの習慣ですが、夜に神社に行って、しかも人もたくさんいるという状態が非日常感があって大好きなんです。
今回はそんな漫画です
今回はすこしだけ小ネタを…
よく日本人は無宗教とか言われますが、生活の中に宗教行事が溶け込み過ぎているのでは???と最近気がつきました。
二年参りも毎年欠かさず訪れる人もたくさんいますし、初詣にもたくさん人が集まります。
しかも日本には神様が八百万いるので、いくら参拝してもいいという懐の深さ!笑
一神教の宗教の方に、この日本の多神の感覚をわかりやすく伝えるには、多くの神様たちを「聖人」に例えると伝わりやすいと言うのを聞いたことがあります。
確かに言われてみれば、イザナギ&イザナミはアダムとイブで〜などと当てはめて行くと、意外とすっとハマるかもしれません。
また、正確には日本のいちばんトップの神様って実態も名前も無いんです。
神社の本殿の、神様がいるところに何があるかというと、何も無い。
空間があるだけで、私たちはその何もない存在へ、感謝や願いを託しているんです。
もちろん、名前のある神様たちはいますが、それらは大元の神様の子供たちというか…
より人間に近い存在なんだと思います。
昔に、伊勢神宮を訪れた西行法師が
「なにごとの おはしますをば しらねども
かたじけなさに なみだこぼるる」
(どんな存在がいらっしゃるのか見当もつきませんが
確かに存在しているという事に感謝の気持ちで涙がこぼれてきます)
という和歌を詠んでいます。
また、出雲大社の古い神紋には亀甲の中に有の字をあしらったものが使われていました。
これは一般には神有月(神在月)の有を用いたものだと言われていますが、
目に見えない神様の存在を名前を付けずに呼ぶための目印だったのではないかなと思います。
旧約聖書にも、興味深い文言が出てきます。
出エジプト記 3章14節
神はモーセに言われた「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『「わたしは有る」という方が、わたしをあなた方のところへつかわされました』と」。
ユーラシア大陸の西端と、東の果ての島国で同じ思想がある事に、とても興味が湧いてきます。
二年参りをしに、神社へ行って、参拝待ちの人たちの顔を見ていたらふと、
そういえばみんな何だかんだ律儀にお参りとかするよね〜と思ったので、
日本人の思っている無宗教について、自分なりに考えてみました。
なにより、寛容さがいいですよね。
お酒飲んでいいところとかw
それでは、今回も読んでいただきありがとうございました!
本年も毎週火曜日に更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします
綱島の魅力をたくさん発信していけたらと思っています。
ぽちっと応援、よろしくお願いいたします!