あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日 その57(最後の一日の終わり)

2018-07-22 22:11:51 | 主人のこと
また一ヶ月も空いてしまいました。


「お願いします。」と楽になる薬を決めたのは5時半頃だった。
今左腕についている点滴に入れるだけなのですぐにでも入るのかと思っていた。

が、結局それから三時間ほどを家族で過ごし、いよいよの時には外来担当の医師や、病棟担当の医師そして麻酔科チームの医師も顔を出した。

皮肉なもので関わってきたドクターが揃った時には主人は少しシャキっとして見えて、少し前に私が主人に言った「もうじき先生が来て楽にしてくれるよ」という言葉を覚えていた。
「あぁ先生、苦しいんですよ。楽になる薬を入れてくれるって聞きました。早くお願いします。」と言った。
その薬の本質をわかっているのかいないのかは私にはわからなかったが、ドクターが「はい、看護師から聞いています。この薬を入れるとだいぶ楽になりますよ。でも、すごく眠くなりますよ。」と主人をに言いそして私を見た。

主人は手でオッケーマークを作り「眠れるならありがたい、早くお願いします。」と言った。
この時主人がクリアだったのか、せん妄の中だったのかはわからないが、揃った医師たちが病室をでたあとに「これで一息つけるな」と私に言った。

私も子供たちも返事はできなかった。

ほどなく看護師と麻酔科のチームが薬剤を持ってきた。「〇〇さん(主人)これで呼吸が少し楽になりますからね」と点滴にその最後の薬を入れた。

私はその点滴を入れている間に病室外に呼ばれ病室の外で待っていた担当医師に「今薬を入れました。少しずつ呼吸がゆっくりになっていきます。眠気もひどくなっていくのでウトウトとしはじめると思いますがご家族の声は聞こえているので最後まで声をかけてあげてください。」と終わりの始まりの説明を受けた。
「ありがとうございました」としか言えなかった。早く病室に戻りたかった。

医師に頭を下げ見送ると看護師(日勤帯の看護師に交代していた)が「心電図と血圧はこちら(ナースステーション)でもわかるようになっています。どうぞ最後までご主人に話しかけてあげてください。」と言われ病室に戻った。

その後主人の意識が戻ることはなかった。
ただゆっくりと息をして、でもこちらの言うことはわかっているのか息が浅くなると「お父さん」とかける声に答えるように握っている手に力が戻る。
静かに大きくゆっくりと呼吸を繰り返すだけだった。

次第に私たちの声掛けに手を握り返す力も弱くなり、半目は開いているが何も見えてはいないだろうといった顔で呼吸が止まった。

心電図が直線になり私も子供たちも「逝ってしまった」と全員が大きな声で「お父さん!!」と泣き出した時に
「ぷふぁーーー」と大きく息を吸い込んだ。
「戻ってきた!?」と子供たち全員と顔を見合わせていると看護師が病室に入ってきた。
そして大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐いているのを見て「?今(心電図も呼吸も)止まりましたよね?」と私たちに聞いてきた。
家族全員で「はい、今私たちもそう(逝ってしまった)思いました。」と答えると「最後の力を振り絞ったんですね、まだ聞こえてますよどうぞ声をかけてください」といったん病室をでた。
そしてそのまま呼吸をすることはなかった。


10月10日午前11時51分永眠した。
わずか5ヶ月間の闘病でした。


癌との毎日 その56(最後の一日その5)

2018-06-22 21:36:12 | 主人のこと
だいぶ間が空いてしまいました。
仕事に追われ、体力の限界を感じながらも毎日を過ごしております。

そして先月26日に納骨もすませてホッと一息もつけました。

本題に戻りますね。


病室に戻り主人に「看護師さんから(水を)飲んでもいいって許可もらったよ。飲む?」と聞くとすでにせん妄が戻っていた。
少し前の出かけようとしていたせん妄ではなく、誤嚥を起こしてすぐの頃のせん妄のようで「喉に機械が入ってるから飲めないよ」と鼻からチューブが入っていた時のように顔の前で手を振ってみせた。

ほんの数分、いや数秒で主人の意識が変わってしまう。
それらを咄嗟に読み取り興奮させないようにとその場しのぎの言葉で取り繕い、ウトウトしたり訳のわからないことを話しだしたりする主人を娘と二人で対応していると息子二人が病室についた。

病室に入ってきた息子ふたりは主人にかける言葉も見つからないようで「来たよ」とだけ言った。
ここで主人の意識がまたクリアになった。
「なんだ?こんな時間に〇〇も□□も来るなんて俺もうダメなのか?」
誰も答えられなくなりみんなで顔を見合わせた。

と、その瞬間に主人が「じゃあ、✖✖(ラーメン店)に行こうか」とまたせん妄が戻った。
息子たちは「??」といった感じで私に助けを求める目を向ける。
「お前たちが帰ってきたらみんなで✖✖にラーメンを食べに行こうってお父さん待ってたんだよ」と私が言うと長男が「そうなんだ」と場を察してくれたが末息子は明らかに動揺していた。

家族がそろったところで夜勤の看護師が病室に来て血圧やらパルスやらを計った。
相変わらず血圧は低いままだし、パルスも80には届いていない。
レスキューも入れられない。病室を出ようとする看護師が私に目を合わせたので一緒に外に出る。

「みなさん揃いましたね。どうしますか?」と聞かれた。

もうこれ以上苦しませたくはなかった。せん妄が出ているときは元気な頃のように話はするが、肩で息もしているしうまく痰も出せなくてしきりにティッシュで自分の口元を拭うようなこともしていた。
「お願いします」
主人の人生を止めてしまう決断をした。

癌との毎日 その55(最後の一日その4)

2018-05-23 21:46:40 | 主人のこと
会話だけを聞いていればかつてのごく普通の過去何度もあったやり取りではあったが、私も娘も最期を感じていたのでいままでのように悪態も混ぜ返答をするが、それでも着替えようとする主人を止めようと嘘八百を並べて思いとどませる。

「もうじき△△(長男)も□□(末っ子)も学校や会社から帰ってくるよ。久しぶりに家族5人が揃うんだから家族みんなでどこかに美味しいもの食べに行こうよ。ダメ?」と私が苦し紛れに言うと主人の手が止まった。
「あいつら帰ってくるの?そうか、じゃあ✖✖のラーメンでも食べに行くか」と私と主人の宿題となっていた有名店の名前が出た。
私が「いいね、行きたかった店だよ。行こう行こう」と賛同すると「帰りに足を伸ばして〇〇でシウマイを買って帰ろうよ、今夜はそれで一杯飲みたいな。」と言った。
「うん、そうしよう」と返事をすると「じゃ、あいつらを待つか」と起こしかけていた上半身をベッドに戻し目を閉じた。
体は辛かったんだと思う。ベッドに体を預けたとたんにウトウトとしはじめた。

娘と目を見合わせて「うん、帰ってきたら教えるから少し寝なよ」と言うと「うん、頼むな」と静かに言った。

ウトウトしているように見えても眠れているわけではなく、なにか物音を立ててしまうと目を開ける。私と娘がいるのをみるとまた目を閉じる。そんなことを繰り返していた。

ただ娘と二人ベッドの両脇に座り手を握ぎっていた。


ほんの少し、10分もないと思うが静かにマスクをつけ寝ていた主人が「水が飲みたいな、飲んだら(看護師に)怒られるかな?」とつぶやいた。
せん妄ではなく正気に戻っていた言葉だった。
飲ませてあげたかったし、もう今更あれはダメこれもダメとは言いたくなかった。ので、「いいよ、水ね」とストローを刺したペットボトルを主人の口元に持っていくと「いや、勝手に飲むと怒られるから。また吐いて苦しいのは嫌だしちょっと(看護師に)聞いてきてよ」と言う。意識がクリアになっていた。
「聞いてきてよ」と言いながらも自分でナースコールを押してしまい、すぐに看護師が病室に来た。
自分で水のことを聞くのかと思ったら「レスキューをいれてください」とお願いした。
看護師は血圧を見て「ごめんなさい、この血圧じゃ入れられないです」と申し訳なさそうに主人と私を交互に見た。

せん妄が出ている時には嘘を並べてやり過ごせるのに、正気に戻っている主人にかける言葉がみつからずに黙ってしまった。

看護師が病室を出ていくのを追いかけ、「水が飲みたいと言っているんですが飲ませちゃダメですか?」と聞くと「先生(医師)からは飲ませないようにと指示が出ています」と言われた。
電話をくれた看護師ではなかったのであくまでも医師の指示が一番といった感じの返答をされてしまい「そうですか、わかりました」と病室に戻った。
が、すぐに電話をくれた看護師が来てくれて私を病室の外に呼び出した。

「今(病室に来てくれた)看護師から話を聞きました、たしかに医師からはそう(飲ませるな)指示が出ていますが、私は飲んでもらってもいいと思います。飲んだからって必ず吐くわけではないし、ご家族が最期をわかっていらっしゃるのならもう我慢はさせなくてもいいと思います。ただ、こちら(病院)としてはリスクがあるのに『はい、どうぞ』とは言えなくて・・・」と、とてもとても申し訳なさそうに言った。

癌との毎日 その54(最後の一日その3)

2018-05-10 19:57:33 | 主人のこと
息子二人に電話をしてすぐ来るように言った。
長男は「もう意識はないの?」と聞いてきたが意識は全然ある。
「意識はあるよ、でももうせん妄も出てきているし、血圧も上がらない。呼吸もままならないから苦しいはず。『呼吸が楽になる薬』を入れてもらうから、入れたらもう自発呼吸はできなくなるからその前に来て」と。
「わかった、すぐ行く。」と長男の返事を聞いて病棟に戻った。
病室に入る前に夜勤の看護師さんに「これ以上辛い苦しい思いはさせたくありません。今息子に連絡したので家族が揃ったら(薬を)入れてください」とお願いした。

「わかりました。夜勤の医師に連絡しますね。」と言われ「お願いします」と頭を下げると「大丈夫ですか?」と看護師に背中をさすられた。
こらえていた涙が溢れた。
顔が上げられなくなり頭を下げたまましばらく(と言ってもきっと1分ほど)必死に涙を拭き顔を上げるとその看護師も涙を流していた。
こんな仕事をしているのだからいろんな方の死に際もみているだろうにそれでも涙を流してくれる看護師にちょっと驚き、そしてありがたいと思ったら“最後はちゃんと看取ってあげよう”と覚悟が決まった。

大きく息を吸い込み「はい、大丈夫です。2、30分ほどで息子達が来るのでよろしくお願いします。」と気丈に答えたつもりだ。

病室に戻ると娘が主人に再度酸素マスクを促していた。
やはり話をするのに邪魔なようですぐにマスクを手でずらしてしまう。ずらせば酸素濃度は落ちる。それを娘が「お父さんちゃんとつけて、鼻から大きく息を吸って」を繰り返していたようだ。

娘の隣に座り小さく「二人(息子たち)が来たら(薬を)入れてもらうから」と主人には聞こえないように伝えた。
娘が「トイレに行ってくるね」とすぐに離れた。見たわけでもないし聞いたわけでもないが多分泣きに行ったのだろうと思っている。

主人の手を握り「大丈夫?痛くない?」と声をかける。
せん妄と正気を行ったり来たりしている主人が「痛いよ、ナースコール押して、レスキュー入れてもらって」と言った。
体についている血圧計の数値はやはり100はない。
その数字を主人に見せて「まだ血圧が100まで行かないよ、レスキューは入れられないから頑張って(どうやって?って話だが)血圧をあげようよ」と言うと「そうか・・・」と目を閉じた。

もう何日も食べていないし水分さえもろくに摂っていない、せめてすこしでも眠れたならと思っていたがどうやらとても敏感になっているようで娘が病室に戻る音を聞き目を開けた。
が、一瞬目を閉じた間にせん妄が始まった。
主人のなかでは自宅でウトウトしていたようで、娘の顔をみると「おかえり、お疲れ」と声をかけた。
「さて〇〇(娘)も帰ってきたし俺はちょっと出かけさせてもらおうかな」とパジャマのボタンに手をかけ脱ごうとしはじめた。
娘と二人「え?どこ行くの?」と聞くと「こんなにいい天気だし家でゴロゴロしてるのは勿体ないからちょっと(自転車)行ってくるよ」と言い「俺のジーパンどこだっけ?」と顔を左右に振ってなにか探していた。

一瞬娘と顔を見合わせた。
すぐに娘が機転を利かせて「お父さん、今私が帰ってきたのに出かけるの?なら私が帰ってくるのを待ってなくたってよかったじゃん」とかつて自宅であったやりとりを再現した。

その背景には娘が就職して少し経った頃に車通勤の娘が信号待ちをしているところに車が追突してきた事故があった。
完全な相手有責の追突事故だった。
幸い娘にも相手にも怪我ひとつない事故だったが、その事故の後主人が明けや休みで家にいる時に娘の顔を見てから自転車で出かけるというやり取りが何度かあったためだ。
主人なりに心配もしていたのだろう。
娘としては自分は悪くない事故だから家にお父さんがいようがいまいが関係ないのだから「いちいち恩着せがましい」と悪態をつき主人は「ハイハイウザイお父さんは消えますよ」のようなやり取りがあった。



癌との毎日その53(最後の一日のその2)

2018-04-30 19:25:05 | 主人のこと
「うん、今着いたよ。遅くなってごめんね」と答える私。ほんの数分前のこともあやふやになっている主人に肯定する返事しかできなかった。
「〇〇(娘の名)がずっといてくれたから大丈夫だよ。」

主人の中では娘は日中の面会のままずっと病室にいると思っていた。
食べられるはずもない夕食を食べた話をし、美味しかったと言っていた。

娘も仕事柄看取りには免疫があり、終末期の人のせん妄、幻覚は心得ていた。
なのですぐさま話を合わせてくれた。

最初に病室に入った時とはちがうおだやかな顔をして頓珍漢な話をしはじめた。
でも息は絶え絶えで呼吸は浅く早い。パルスは70前後を行ったりきたりしていたので娘と二人酸素マスクを着けるように促す。
「これはいらないよ」と拒否するが私が「これを着けて鼻で呼吸をすれば少し楽になるよ」と言うと「俺は延命治療はしないって決めてるから」と言った。
わずかに残っていた正常な判断だったのだろう、実際は間違っているわけだけど呼吸器と間違えての酸素マスクの拒否だった。
「これは延命治療じゃないよ。呼吸しずらい人が効率よく酸素を取れるだけで今私が着けることだってできるよ」と酸素マスクを口にあてて吸ってみた。かつて私の実父が肺がんで鼻にチューブをつけていたので、「私のお父さんがつけていたのと同じだよ」と説明すると「あぁ、そうかあれか」と納得した。
もう鼻の酸素チューブや普通の酸素マスクでは追いつかないので高濃度酸素マスクではあったがやっと着用してくれた。

「鼻から大きくゆっくり吸ってね」と促すと言われた通りに深呼吸をする、するとパルスが72~74あたりまで復活する。
でもすぐ口呼吸に戻ってしまい“ハッハッハッ”と浅い短い息遣いになる。その度に娘と二人「鼻から大きくゆっくり」と声をかける。その間もなにか言いたいことがあるとマスクを手で外しなにか言う。笑ってはいけないんだろうけどなんだかその動きがコミカルで娘が「お父さん、それ外さなくてもしゃべれるからそのまま話なよ」とちょっと笑いながら言っていた。

パルスが74あたりに安定してくると痛みが戻ってきたようだった。
自分でナースコールを押して「レスキュー(痛み止め)お願いします」と頼むが看護師が病室まできて血圧をみると上が90くらいで下が60を切るかという数値だった。
見に来てくれた看護師が申し訳なさそうに「ごめんなさい、血圧が低すぎてレスキューが使えません。」と主人と私を交互に見て言った。せめて上が100ないと使えないと説明してくれた。

もう痛み止めも使えないのかと、先が長くないことを実感した。

「楽になる薬」を入れて上げるのは私なんだなと覚悟を決めた。
決めたけど息子二人は家で待機している。すぐに呼ばなくてはと思った。

主人は「俺今血圧が100ないんだ?あんなに血圧が高いのを気にしていたのに優等生じゃん」とわかっているのかわかっていないのかなんとも言い難いことを言っていた。
痛みでまた怒り出すのでは?と心配したが看護師の説明を聞いて「はい、わかりました。頑張って(血圧を)100まであげます」と素直に引き下がった。まるで小学生が先生に「○○をがんばります」と決意表明をしているようだった。

私はすぐ病室から出て息子二人にすぐ病院に来るようにと連絡をした。