あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌という病気 その10(ry)

2017-11-23 18:41:06 | 主人のこと
小腸ストーマにすると主人が決断するとすぐに手術の日程が決まった。
無理やり手術の予定を入れてくれたようだった。

説明を聞いてから三日後だという。まだ腸の中には残渣物があり、それがでないことには施術できないらしいが、経過は順調なのでその日にしましょうとのこと。
それまでは絶食で栄養点滴のみ、水も服薬の為のものだけで随分辛かったと思う。
まあ、何か食べたり飲んだりしたいという訴えもなかったのだが、退院後聞いてみれば「何か食べたり飲んだりしてまたあの痛みが襲ってきたらって考えたら何も欲しくなかった」と言っていた。

小腸ストーマの手術は午後一番でと言われていた。
その日は娘の仕事も休みで一緒に行くと言うので10時には病院にいた。
主人と言えばストーマにすることは腹をくくっていたが、その後のパウチの扱いに不安があるようだった。
実は私も娘も介護職に就いている。私は去年からの実母の病気の関係で働いてはいなかったが、私も娘もストーマのパウチの扱いは慣れていた。

なので、「簡単だよ」とか「すぐに慣れるよ」と励ましつつも「うまくいかないなら私たちが取り替えてあげるから大丈夫」と努めて明るく話していた。
「そうだよな、うちにはプロが二人いるんだもんな」と笑っていた。

主人がストーマを決めたのは最短で家に帰りたいからだ。ステントは場所的に難しい、でもこの先癌がある限りお尻の管は抜けない、抜けなければ家に帰ることはできない。
ある意味消去法でストーマしかなかったのだ。


さて、午後一番でと言われていた手術は1時を過ぎても2時を過ぎても呼ばれなかった。
私と娘は一時過ぎには手術室へ向かうだろうと思っていて、主人がオペ室に入ったら病院のレストランで昼食を食べようと朝から何も食べずに来ていた。
だが一向に呼ばれずに3時を過ぎた。
私はともかく娘に何も食べさせないのはかわいそうで、院内にあるコンビニに軽食を買いに行ったのは3時半を過ぎていた。

娘はお腹ペコペコでおにぎりやら唐揚げやらを買い、主人の前で食べるのは気が引けるからと飲食できるラウンジで食べようとしていた時に携帯がなった。
主人本人からで「今呼ばれたよ。一度こっちに戻ってきて」と言われ、私だけ病室に戻ると車椅子に座って待っていた。

付き添いの看護師に「術後は個室に移るので、オペ室に入ったら荷物をすべてそっちに移動してください。」と言われ、内心「そんなことは先に言えよ」と思いながらもハイハイと聞いていた。
主人はと言うとお尻に入っている管のせいで肛門が痛いのと、時間になってもよばれなかったせいなのか看護師相手にイライラしていた。

オペ室のある階まで一緒についていき、この先は家族も入れないのでと看護師に言われ主人に「頑張って、部屋で待ってるよ」と言うと主人は「目が覚めたら(全身麻酔なので)ケツからこの管が抜けてるんだな、行ってくるよ」と言っていた。

そんな主人を見送ったのは4時を過ぎていた。


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