あんなに嫌いだったのに

平成29年10月に夫がすい臓がんで先に逝ってしまいました。
定年したら離婚しようと準備していたのに・・・

癌との毎日その53(最後の一日のその2)

2018-04-30 19:25:05 | 主人のこと
「うん、今着いたよ。遅くなってごめんね」と答える私。ほんの数分前のこともあやふやになっている主人に肯定する返事しかできなかった。
「〇〇(娘の名)がずっといてくれたから大丈夫だよ。」

主人の中では娘は日中の面会のままずっと病室にいると思っていた。
食べられるはずもない夕食を食べた話をし、美味しかったと言っていた。

娘も仕事柄看取りには免疫があり、終末期の人のせん妄、幻覚は心得ていた。
なのですぐさま話を合わせてくれた。

最初に病室に入った時とはちがうおだやかな顔をして頓珍漢な話をしはじめた。
でも息は絶え絶えで呼吸は浅く早い。パルスは70前後を行ったりきたりしていたので娘と二人酸素マスクを着けるように促す。
「これはいらないよ」と拒否するが私が「これを着けて鼻で呼吸をすれば少し楽になるよ」と言うと「俺は延命治療はしないって決めてるから」と言った。
わずかに残っていた正常な判断だったのだろう、実際は間違っているわけだけど呼吸器と間違えての酸素マスクの拒否だった。
「これは延命治療じゃないよ。呼吸しずらい人が効率よく酸素を取れるだけで今私が着けることだってできるよ」と酸素マスクを口にあてて吸ってみた。かつて私の実父が肺がんで鼻にチューブをつけていたので、「私のお父さんがつけていたのと同じだよ」と説明すると「あぁ、そうかあれか」と納得した。
もう鼻の酸素チューブや普通の酸素マスクでは追いつかないので高濃度酸素マスクではあったがやっと着用してくれた。

「鼻から大きくゆっくり吸ってね」と促すと言われた通りに深呼吸をする、するとパルスが72~74あたりまで復活する。
でもすぐ口呼吸に戻ってしまい“ハッハッハッ”と浅い短い息遣いになる。その度に娘と二人「鼻から大きくゆっくり」と声をかける。その間もなにか言いたいことがあるとマスクを手で外しなにか言う。笑ってはいけないんだろうけどなんだかその動きがコミカルで娘が「お父さん、それ外さなくてもしゃべれるからそのまま話なよ」とちょっと笑いながら言っていた。

パルスが74あたりに安定してくると痛みが戻ってきたようだった。
自分でナースコールを押して「レスキュー(痛み止め)お願いします」と頼むが看護師が病室まできて血圧をみると上が90くらいで下が60を切るかという数値だった。
見に来てくれた看護師が申し訳なさそうに「ごめんなさい、血圧が低すぎてレスキューが使えません。」と主人と私を交互に見て言った。せめて上が100ないと使えないと説明してくれた。

もう痛み止めも使えないのかと、先が長くないことを実感した。

「楽になる薬」を入れて上げるのは私なんだなと覚悟を決めた。
決めたけど息子二人は家で待機している。すぐに呼ばなくてはと思った。

主人は「俺今血圧が100ないんだ?あんなに血圧が高いのを気にしていたのに優等生じゃん」とわかっているのかわかっていないのかなんとも言い難いことを言っていた。
痛みでまた怒り出すのでは?と心配したが看護師の説明を聞いて「はい、わかりました。頑張って(血圧を)100まであげます」と素直に引き下がった。まるで小学生が先生に「○○をがんばります」と決意表明をしているようだった。

私はすぐ病室から出て息子二人にすぐ病院に来るようにと連絡をした。


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