日本食といってまずはじめに寿司が思いつく人は少なくないのではないでしょうか。
日本には数多くの回転寿司店が立ち並んでおり、国民食といっても過言ではありませんよね。そのネタも魚介類から、揚げ物まで非常にバラエティに富んでいます。
ではこの寿司の起源は一体どんなものだったのでしょうか。日本?海外?また、どうしてシャリと魚をくっつけるという発想にいたったのでしょうか。
私たちのソウルフードともいえる寿司について調べていきましょう!
寿司の歴史
寿司の起源
寿司のはじまりは紀元前4世紀にまで遡ります。
寿司ははじめから食べ物として生まれたわけではなく、川魚の保存方法として東南アジアで生まれました。
その保存方法とは、川魚と米などの穀類を炊いたものを一緒に漬け込み、米の発酵を利用して魚の保存性を高めるという方法です。魚と米を合わせるという点で、現在の寿司と一致していますね。
これは「熟れ鮨(なれずし)」と呼ばれ、ある程度時間が経ったあとに、魚だけを食べていました。米は発酵によりドロドロになってしまうので一緒に食べていなかったんです。
どんな時代でも、どんな食べ物でも「保存」という観念はいつも意識されていたことが分かります。柏餅に葉を巻きつけるのも仮説ですが「保存」の効果を高める為ですね。
話しを戻して、室町時代になると酢が生まれます。これまで熟れ寿司は発酵させ、酸っぱさをだすために、何か月か待たないと食べることができませんでしたが、酢が生まれたことによりこれをかけるだけで酸っぱさを味わえるようになりました。これを「早鮨」といいます。
この早鮨が現在の寿司の原型となっています。そしてこの早鮨が後に握り寿司へと発展していくのです。
握り寿司の誕生
熟れ寿司は中国から朝鮮半島に伝わり、やがて日本にも伝わりました。文献によると奈良時代にはすでに伝わっていたようです。
熟れ寿司が伝わってからしばらくは、これを年貢代わりに納めることが多く、高貴な人々しか食べることができませんでした。
そこから時は流れて江戸時代、私たちもよく知る握り寿司が誕生しました。この握り寿司を生み出した人の名を「華屋興兵衛」といいます。
華屋与兵衛が生み出した寿司を「江戸前寿司」とよびます。江戸前寿司では東京湾でとれた魚を酢飯と一緒に握りました。
ちなみに当時人気だったのは海老、玉子、鯛、アジなどでした。寿司といえばマグロが思い浮かびますが、当時の人たちにとって脂が多すぎるということでマグロはあまり人気ではありませんでした。意外ですよね。
寿司の由来
いくつもある寿司の漢字
寿司と一言でいっても漢字がいくつかありますよね。寿司・鮨・鮓、これらはすべて「すし」と読みます。
そしてひとつひとつに意味があります。
- 鮨…魚が旨いという意味
- 鮓…魚を熟れ寿司の用法で保存すると酸っぱくなることが由来
- 寿司…「寿を司る」という意味。縁起のよい食べ物であるという意味簡単にまとめましたが、それぞれの漢字で意味がかなり異なります。
熟れ寿司の時代は鮨・鮓として親しまれていました。しかし人々が酢飯と魚を合わせると美味しいことに気づき、それがどんどん伝わり、握り寿司が広まった江戸時代には寿司という字があてられるようになりました。
寿司の起源まとめ
握り寿司は日本起源ですが、本当に上流まで遡ると寿司の起源となるものは東南アジア発祥の保存食が原型とは意外でしたよね。どこまで遡っても完全に国産文化だと思っていました。
しかし突き詰めれば、寿司は魚を長期間保存するための方法として生まれたものでした。穀類を乳酸発酵させると酸っぱさが生まれ、魚にも旨味が増し、人々はその美味しさに惹かれていったんですね。
現代の、魚(ネタ)と米(シャリ)を合わせた寿司も、その時の名残からきているのでしょう。寿司の話をしていたら、なんだか寿司が食べたくなってきてしまいますね(笑)